反社会的人間の戯言

底辺大学卒業の工場作業員の♂である自分を通して反社会的人間の思考回路を観測してみよう。  ※文章が支離滅裂なときが度々あります。

計画を立てる事への嫌悪感

みなさん、こんばんわ。このブログの筆者のやくひなです。

 

平成も終わり本日より令和が始まったわけで、世間は少し浮ついている感じを受けました。しかし、自分としては暦が4月から5月に変わっただけです。これからどんどん暑くなっていくと考えるだけで憂鬱です。

 

 

さて、ゴールデンウィークも数日経過しましたが、皆さん予定はありますでしょうか。実家に帰省するって人もいれば、海外旅行に行くという人もいるでしょうし、そもそもゴールデンウィークなんて無いという人も多いかと思います。

無職の自分はというと、別に予定はありません。毎日ゴールデンウィークみたいなもんですし、わざわざ混んでる時期に出かける必要もないと思っています。しかしながら、そもそも計画を立てる事を嫌っているというのが実情です。今回は、何故計画を立てる事が嫌いなのかについて書いていきたいと思います。

 

 

まず、出かける事が嫌いなのかというとそうでもありません。ぶらっとどこかに行くのは好きですし、それなりに活動的です。嫌いなのは、他人と出かける事です。人が多い場所も好きではないですが、まあ今回は置いておきます。

何故他人と出かけることが嫌いなのかというと、以前も書いたかもしれないですが自分の思い通りにことを運べないからです。別に何時何分に電車に乗ってみたいなのも嫌ではありますが、どちらかが折れたり折衷案を探しながら一日を過ごすという行為が面倒で仕方ありません。そんなことをするなら、一人でいい。

そして、もう一つの理由としては予定を立てなければいけないからです。時間と場所を決定する作業も面倒くさくて遠慮したいですが、それ以上にその日の行動が事前に決定するという事が辛くて仕方ありません。

移り気なのを自覚している自分としては、当日の気分は今とは違うものだと身をもって知っています。目的地に行きたいのはその日であって、別の日ではありません。予定日にその行動をしたくないというのも日常茶飯事です。それでも予定を立てたからには何かしら行動せざるを得ません。それが苦痛で堪らないのです。

 

予定を立てるというのは約束を交わすという事だと認識しています。友人の場合は当然自分と友人間での約束です。これは理解される事だと思います。そして、一人行動でも同様です。対象が友人から未来の自分に変わっただけです。こちらは人によっては理解できないかと思います。

約束は守ることを前提として交わされるものです。守られない約束は何の意味も持ちません。仮に気分が乗らなかったとしても、何かしらの行動は必要になります。

ここでの行動は2つあり、1つは気乗りしない自分を抑え込んで約束を果たすこと。そしてもう1つは、何かしらの理由を捏造して約束を反故にすること。このどちらかしかありません。結構約束を反故にすることは多いですが、その都度罪悪感は感じています。屑野郎ではありますが、別に血も涙もない訳ではないのです。

これまでの経験から気乗りしない場合には何かしら言葉にならない理由がある事を理解しているので、申し訳ないとは思いながらも理由を作ります。自分のコンディションが最重要なのは間違いないですが、人間は同じ時間を過ごす人の気分で喜怒哀楽の感情を変化させることも理解しているので、楽しめない自分が同行したとて有意義な時間には程遠くなるだろうと察しての行動です。

 

これを踏まえて、自他共に不愉快な思いをしない為の行動として、一人行動が選択される事が増えました。一人行動なら不愉快な思いをする他人は存在しませんし、不愉快な思いをさせる他人もまた存在することはありません。不愉快な思いをするのは自分だけで十分です。自分だけなら、突発的な行動もどうにでもできますから、自分の性にもあっていました。

計画を立てることが出来ないのかというと、得意ではないですが無理なくできます。そして、ちゃんとスタートできればある程度問題なく進みます。しかし、立てても実行されない計画は無意味なので、立てる事は余りありません。

 

 

ここまで書いてきて思ったことは、もしかしなくとも計画を立てる事への嫌悪感なのではなく計画を実行できない自分への嫌悪感で、嫌悪感から逃れるために計画を立てないんでしょう。原因が生まれる事が無ければ、嫌悪する理由が無い。実に自分らしい哀れな考え方だと思います。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。