反社会的人間の戯言

底辺大学卒業の工場作業員の♂である自分を通して反社会的人間の思考回路を観測してみよう。  ※文章が支離滅裂なときが度々あります。

自分の尻を自分で拭けない人を生かす必要が有るのか 短絡的な解決方法と一緒に

皆さん、こんにちは。このブログの筆者のやくひなです。

つい先日、近くの園芸店でハエトリグサの鉢をお迎えしました。これまで植物を育てた経験なんて、小学生の時に朝顔のお世話を偶にした程度なので不安ですが、手探りながらも育てていきたいと思っています。

 

さて、今回はタイトルにある通り自分の尻を自分で拭けない人を生かす必要が有るのかという事について考えを書いていきたいと思います。

皆さんお分かりでしょうけれどもここでの自分の尻を拭けないというのは、物理的なものではなく言葉のあやです。物理的なものは当然含みますけれども。

なぜこんなことを思ったのかと言いますと、最近のニュースは高齢化社会に関係するものが多く、そもそも高齢化した人達全員の保障をする必要が有るのかと考えていたところ、年齢の老若よりその人の生産性の方が重要なのではと考えるに至ったからです。

人間が生きるのにはそれなりのコストが掛かるわけですが、そのコストを自己負担出来ないどころか他者に背負わせるような奴は果たして必要なのでしょうか。

それについて、自分の考えを書き連ねていきたいと思います。

 

 

まず、自分が生かす必要が無いと考える人物の対象を明確にしていきます。

条件付けは大きく分けて以下の3点で、

・自分の事を自分でこなせなくなった高齢者

・自分の事を自分でこなすつもりが無い若年中年層

・意思の疎通が成り立たない人

は早々にご退場願えたらなと思っています。

直接的に言うなら、植物状態の人や要介護者、ニート知的障害者はさっさと死ねと思っています。どいつも他者の資産を食い散らかす害虫と何ら変わりないと思っていますので、社会的に余裕が無くなってきているのなら、どうにかして社会的余裕を生み出す必要が有ります。その方法が、不要な人材の破棄です

先駆者は先駆けただけの存在で、別にその人自身が偉いのではありません。先人の知恵は、情報の内容は当然価値がありますが、情報の拡散が困難だからより価値があったのです。紙が貴重な物でない今、情報をわざわざ口述のみで残すような事をする必要がありません。

選別対象者から、自分を除外するつもりは毛頭ありませんし、自分の身内も同様の条件で間引かれて良いと思っています。

ただし、子供の場合は例外です。義務教育終了の15歳までだと成長の度合いによって不公平が生じるかと思いますので、高等学校卒業までは保留にすればいいのかなと。

また、妊娠や物理的な大怪我なども保留でいいかと。普段は出来るでも出来ない場合というのは有るでしょうし、これらの対象を排除するのは国力低下に繋がるでしょうから。

 

さて、次はどう分類分けするのかと言うところですが、体力,認知力の合計スコアを測定してそこから緩めの基準を設定すればいいかと思います。そうですね、これだけだとニートの選別が満足に行えないので、自己の収入では満足に生活が成り立たない者を対象としての実施としましょうか。

スコアの設定は小学校高学年にも同じことをしてもらって、その平均スコアから少し落としたところにしましょうか。

ようは小学生高学年以下の能力かつ自活するだけの収入が足りていない者は者は間引かれればいいという考えです。

 

 

これを実行すると、社会がどう変わるかと言うと、間違いなく日本から外国に国籍を移す者が現われます(笑)

ただ、残った者は、それなりの収入増加は見込まれるかと思います。収入の増加をさせないと社員が減少しかねない場面が生まれる訳ですから当然そうなるかと思います。

また、残留国民の健康状態は間違いなく向上します。健康管理に気を付けておけば死なずに済む場面も増えますからこれもまた当然でしょう。

そして、社会保障費が下がります。保障する対象がある程度削減されるわけですからこれも当然と言えるでしょう。

国民は国の宝とも言いますが、ここで国の宝と言えるのは一定水準の価値がある者だけです。頭数だけなら必要ありません。

 

 

超管理社会になりディストピア感をひしひしと感じる事を書き連ねていますが、生産性の無い者を生かし続ける必要を感じないのでこれでいいやという投げやりな思考からの記述です。倫理的に問題が多そうなのも分かっていますが、別にそんなこと知ったことではありません。

願わくば社会がより健全かつ合理的な方向に発展していってほしいものです。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

好きな作品を羅列してみる その3 ゲーム・音楽編

皆さん、こんにちは。このブログの筆者のやくひなです。

 

先日、失業手当の活動実績を報告するためにハローワークに行ったのですが、失業手当って手取りの6割なんですね。額面の6割だと思っていたので、肩透かしを食らった気分です。いつもの出費に加えてUQモバイルに乗り換えた費用と国民健康保険料がある為、収支が結構ギリギリで頭を悩ませています。

 

 

 

さて、一週間近く間が空くこととなりましたが、今回は前回前々回に引き続き好きな作品を羅列していく事とします。

一段落つける今回は、ゲームと音楽について触れていきます。

 

どちらに対してもあまりアンテナを高く張っていないので、そこそこ古いコンテンツが並ぶことと思います。そして、ゲームの場合はやりこみはほとんどせず、シナリオをなぞって終わりという作品が異様に多いです。

物事の基本はトライアンドエラーだと思っていますが、その行為が嫌いなのでそもそもゲームは向いていないのかもしれません。

音楽面は楽器の音の良し悪しは分からないので、歌詞とメロディのみで判断しているので食わず嫌いの面がかなり強いと言えるかと思います。

 

 

スマホ購入以前は暇があれば携帯機で何かしらやっているような状態でしたが、現在は家庭用ゲーム機の使用頻度はめっきり落ちましたね。というのもソフトを購入してさらに手元にゲーム機が必要でシナリオが長いというのがしんどくてしょうがないんですよね。

そんなにわかゲーマーがやるゲームシリーズが次のものになります。

 

 

まずは”デジモンワールド”シリーズですね。ゲームジャンルは、育成シュミレーションRPGです。

特に初代デジモンワールドが昔から好きです。細かい所の作りこみが凄いので、色んな楽しみ方があると思います。PSでカーリングミニゲームとして作りこむゲームはなかなか無いと思いますよ。釣りも結構気合入れて作ってあるように思えますし。

難点はバランス調整がガバガバなのとバグが多いのといい意味で糞ゲーなところです。

シリーズがナンバリングなのにゲーム性が違うことが多い点ですかね。デジモンワールド2はクソゲーです。てめえだけは許さねえ。

最近のはデジモンの総数やらバグやらは無いですが作りこみが甘かったり、デジモンの入れ替わりスパンが長いせいで作業感が増したりと自分としては賛否両論です。

 

次は”モンスターハンター”シリーズですね。有名ですので子細説明は割愛します。

MHPシリーズから始めましたが、基本的にやりこみをしないので大した腕ではありません。MHP3以降は各作品150時間程度やったら殆ど触らなくなりました。

各シリーズ良い所と悪い所がありますね。4Gの未登場モンスターの素材を交換出来るシステムは良いと思いましたが、全部発掘武器に持ってかれましたね。メインで使ってた狩猟笛なんかは旋律と属性が選べる発掘武器だけでよかった状態でしたし。

 

そして、”ファイアーエムブレム”シリーズです。ゲームジャンルは、一部を除いて戦略シュミレーションRPGですね。

ユニットごとの特徴と戦略の自由度が広いのが良い点だと思います。ただ、1マップが長くなるので攻略失敗した時が滅茶苦茶萎えます。これは戦略シュミレーション共通の欠点ですね。GBAの3作品しかED見てません。他の作品は大体途中で投げてます。

 

PCでのゲームは”東方project”シリーズをたまにやります。このシリーズはあまりサブカルチャーに詳しくないと聞き覚えは無いかもしれないですね。ゲームジャンルは、メインは縦スクロールの弾幕シューティングです。

大雑把に説明すると目的の前に立ちふさがる魑魅魍魎の女の子達を主人公の巫女か友達の魔女を操作してしばいていくというようなゲームです。神仏魔妖関係なしに様々なモチーフからデザインされた女の子とゲームBGMが素敵なゲームです。自分は下手くそですので全然クリアできません。

 

スマホゲームでは、パズル&ドラゴンズが好きです。好きなのか分からなくなってきていますが、ゲーム性は好きです。運営は嫌いです(笑)

 

他にも”遊戯王”シリーズや”メダロット”シリーズ、マインクラフトなんかを時たまやります。ただ飽き性なので即効飽きます。

 

 

最後に好きな音楽を挙げていきたいと思います。

音楽ジャンルとしてはジャズとユーロビートが好きですね。

傾向としては歌詞が無いものはゆったりとしているBPMの遅い曲が好みで、歌詞が有る者はBPMが速い曲が好みです。

あんまりメジャーなアーティストは知らないのですが、”ALI PLOJECT”と”angela”が好きです。

というか、基本的に前述の東方projectの原曲をアレンジしてるサークルの曲ばっかり聞いているのでメジャーに触れません。

好きなアレンジサークルは、”SOUND HOLIC”、”暁Records”、”豚乙女”ですね。他も好きな曲はありますが、サークル単位だとこの3箇所かなと。

 

 

さて、ここまで3回に分けて、好きな作品を羅列してきましたが、この順番にも少し理由がありまして、先に挙げた物の方が日常生活に根差しています。逆に後に挙げたものは自分の思想嗜好の根幹に近いものです。

どちらが上とかではなくどちらも自己を形成するうえで欠かせないものではありますが、先の方が失うと今後困り、後の方が根絶に苦労する要素です。

別にこれらをどうこうするつもりはさらさらありませんが、とりあえず目に見える形で指向付けたかったので順番も拘りました。

 

 

長くなりましたが、好きな作品の羅列はこれにてひとまず終了とします。

これをみて記された作品や作者に興味を持ってもらえたなら幸いです。

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

好きな作品を羅列してみる その2 漫画・アニメ編

みなさん、こんにちは。このブログの筆者のやくひなです。

先日も暑かったですが、暑い日はブログの更新はしていられません。というのも、部屋に扇風機以外の空調が無いからです。暑い空気をかき混ぜたとして、暑いことに変わりません。クーラー買いたいですね。

 

 

さて前回に引き続き好きな作品を羅列してみたいと思います。 

前回は書籍についてふれましたので、今回は漫画、アニメについて書いていきます。

 

自己紹介の際にも触れたかと思いますが、自分は世間一般ではオタクと呼ばれるであろう趣味の持ち主です。しかし、浅い所でチャプチャプと遊んでいるようなタイプですので、そんなに作品の設定なんかにもこだわりはありません。ですので、伏線を張り巡らせて綺麗に回収していくような作品は好みではないのです。どちらかと言えば、勢いだけで進んでいくような作品が好きです。そういう作品が多く並びますのでご容赦下さい。

 

 

それでは、漫画作品から書いていくこととします。

自分の部屋には、漫画が5~700冊程度収納されています。家全体でみると1200~1500冊程度でしょうか。家の漫画は適時不要と判断した物から手放されていきますのでこれまでに3000冊くらいは読んでいるのかなと思います。なんの自慢にもなりませんね。

昔はファンタジーやアクションみたいな少年漫画にありがちな作品が好みでしたが、やはり人間年月を経ると丸くなるのか熱意が消えるのかギャグや日常生を題材とした作品を好むようになってきましたね。そんな感じの作品をいくつか挙げていきたいと思います。

 

まずは栗井茶先生の”プラスチック姉さん”です。

良くも悪くも頭のおかしい高校生をメインに据えたギャグ漫画です。

登場キャラクターの多くが性根からイカれており、理不尽な展開が続きます。

現在13巻まで刊行中で、ヤングガンガンで連載中です。

 

次は吉田寛先生の”働かないふたり”です。

何でもできる器用な兄と対人恐怖症気味などんくさい妹を中心としたほのぼの作品です。ただし、この兄妹はニートです。周りの人も、なんか変わっている人が多いです。

ギスギスした雰囲気にならないので、リラックスできる作品だと思います。

現在16巻まで刊行中で、くらげバンチで連載中です。コミックスにはどこで使うのかわからない付録がたびたび付いてきます(笑)

 

次は天乃咲哉先生の”このはな綺譚”です。獣耳の女の子たちが働く旅館を中心としたほのぼの作品です。女の子がいっぱいでとても華々しいです。天乃咲哉先生の作品は、綺麗なお話が多いので、ストレスを抱えている人におススメです。自分は新刊が出るたびに、理由もなく泣く破目になります(笑)

現在8巻まで刊行中で、comicブーストで連載中です。連載先が移動したのは知っていましたが、このサイトは初めて知りました。

 

次は小林りつ先生の”咲 -Saki-”です。結構有名かと思いますが女子高生たちによる超能力麻雀です。2回ほど実写化しましたね。勢い重視で進んでいく麻雀漫画で、あり得ないほど大きいお胸が特徴的な作品です。

麻雀漫画って暗くて地味な作品かルール無視でド派手な作品が多い中で、明るい雰囲気でエンタメ重視ながらもしっかり麻雀やってるこの作品はとても偉いと思います(笑)「これでしっかり?」って思う人も多々いるとは思いますが、イカサマせず牌の数が変わらないだけでも麻雀漫画なら偉いのです。

にしても、刊が進むにつれてお胸が大きくなっていってるキャラがいるのは気のせいでしょうか。

現在19巻まで刊行中で、ヤングガンガンで連載中です。スピンオフも量産されてるので、全部合わせると50冊程度にはなりそうですが、本編と興味があれば阿知賀編を読めば、まあ基本は問題なしです。

 

そして、最後に皆川亮二先生の"ARMS"です。これだけ、20年くらい前の作品ですね。

不慮の事態でナノマシンを体内に宿すことになった少年少女達を主人公としたバトル漫画です。一癖も二癖もある少年少女たちが目的の為に苦悩しながらも前に進み続けるお話です。登場人物たちに移植されているナノマシンに”不思議の国のアリス”のキャラクターの名称がつけられているのも、一つの特徴ですね。全22巻で、ワイド判やコンビニ本でも出ています。

 

他にも、水無月すう先生、大暮維人先生、ルーツ先生の作品なんかも個人的には好みですが、人に勧めるのはどうなんだろうかって感じですのでここでは触れません。

勿論ワンピースやらNARUTO、金色のガッシュなんかの定番とも言えそうな少年漫画も読みますし、青年漫画もそこそこ読みます。なんなら、少女漫画もときたま読みます。

漫画の掲載誌はとわず面白いものは面白いのですが、掲載誌の特徴はやはり反映されると考えていますので、縛りのユルそうなガンガン作品と当たり外れは激しいが日常物が多数のきらら作品が個人的には手を付けやすいですね。

 

 

さて、お次はアニメの方で紹介していきます。

現在も1クールごとに8作品程度は見ていますが、今まで映像コンテンツにお金を落としてきた作品はこれらしかありません。

 

まず、”遊戯王”シリーズです。

自分は10年来のOCGプレイヤーで基本的に毎シリーズ楽しみに見ています。遊戯王信者といってもいいかもしれません。例え信者だったとして、前シリーズは出来が酷かったので擁護できません。正直、アニメとしての出来がいいとは言い難いので、かなりの半官びいきが入っていると思って頂いて構いません。玩具販促アニメ特有の世界の未来が遊具にかかっているというシナリオが楽しめる人でも、遊戯王と言うコンテンツが複雑化し過ぎているので楽しめるかは微妙だと思います。

 

次に、"魔法少女リリカルなのは"シリーズです。基本的に可愛い女の子たちが魔法?魔道具?でドンパチやるアニメです。

メインシリーズのテーマに”家族の形”を据えていると思うので人によっては結構刺さるかと思います。アニメの1期と2期は劇場版で120分に纏められているので興味の湧いた方は是非見てください。

 

次に、”てーきゅう”シリーズです。テニス部所属の4人の女の子を中心としたギャグアニメです。滅茶苦茶ハイペースで訳の分からないギャグを畳み掛けてくるアニメです。

1クールの12話を見ても30分ちょっとですむので気に入ればひたすら見ていることも可能なアニメです。なお、現在9クールあります。多分これ以上増えることはありません。

なお、てーきゅうというタイトルにも関わらず、テニスは片手で数えられる程度しかしません。

 

そして、最後に”蒼穹のファフナー”シリーズです。フェストゥムと呼ばれる敵とロボットで対峙しながら成長・荒廃していく人間達の物語です。厳密にはロボットではないですがそこは置いておきます。この作品は、選択するという事がどういうことなのかを如実に表している作品だと思います。敵であるフェストゥムの発する「あなたはそこにいますか」という問いに抗う人間の強さと弱さが魅力の一つで、胃痛の種です。

蒼穹のファフナー RIGHT OF LEFT” は、60分でファフナーの世界観を表現してくれる名作です。自分は後半ずっと涙しています。

シリーズとして明るい作品ではないですが、人間がどういうものなのかを表現した作品だと思います。

 

天元突破グレンラガン”や”天体戦士サンレッド”、”ウォレスとグルミット”シリーズなんかも結構好きですね。

ジブリピクサー作品も嫌いではないですが、好き好んでみることはしません。どうにも何を表現したいのかが掴みにくいんですよね。

 

 

長くなってしまいましたが、これらは余り分割したくなかったのでひとまとめにしました。

残りのゲームと音楽はまた後日書くことにします。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

好きな作品を羅列してみる その1 書籍編

みなさん、こんにちは。このブログの筆者のやくひなです。

 

 

今回は好きな作品を羅列してみたいと思います。

「そんなん興味ねえよ」って人が大多数だとは思いますが、これは自分に必要なことかなと思いましたので書くことにします。

現在の自分は好きなモノが自分ですら良く分からない状況が続いています。

会話を嫌う為、「好きなモノ?特にないかな」と返し続けた弊害です。好きなモノが無いと自分に刷り込まれた状態ですね。他人との関係を広げようなんて思わないので、好きなモノを公表できるようになるという手法は取りたくないので、自分で再認識する方法としてここに書き出そうと思いました。

碌な内容にはならないと思いますが、同じような傾向の人がいるとしてその人の参考にでもなったらいいなと思っての事です。

作品と銘打ったので、本、漫画、アニメ、ゲーム、音楽の順で触れていきたいと思います。

各項目でそんな長々と解説するつもりもないので、そこはご了承を。

 

 

自分の趣味は読書ですが、そんなに量を読んでいる訳ではありません。良いとこ年間50冊ってところでしょうか。それも小説ばっかりで、学術書とか自己啓発本とかはあまり読んでいません。

文体や作風の好き嫌いがそれなりにあり、あまり新規開拓もしないので作家単位での紹介になります。

 

一番好きなのは、北方健三先生の作品ですね。

この方の作品は、ハードボイルドと歴史小説が主になります。

水滸伝”が有名かと思います。男の生き様が荒々しくも繊細に書かれてると思います。

ジャンル的に登場人物の魅力が発揮されきる前に退場となることが多いのが、自分の琴線に触れるのはあるかもしれません。

好きな作品は、もちろん”水滸伝”シリーズです。全50巻と大長編シリーズです。

 

次に、森見登美彦先生です。

この方の作品は、ファンタジー(なのかな……?)が主になります。

夜は短し歩けよ乙女”が有名かと思います。少し前に”ペンギン・ハイウェイ”がアニメ映画化しましたね。軽快な文章と緩いシナリオ構成が良いですね。登場人物にまあ駄目な大人が多いのが特徴かもしれません(笑)

好きな作品は、”恋文の技術”です。”有頂天家族”も良いですけど、読んだ時の驚きと粋を感じたのは”恋文の技術”でした。

 

お次は、故 江戸川乱歩先生です。

なんなら本読まない人でも聞いたことある程度には有名かと思います。

この方の作品は、推理小説とミステリーが主になるかと思います。

作風が暗く人間の欲を扱うことが多いですね。人は選ぶかと思います。

好きな話は、”芋虫”と”屋根裏の散歩者”です。どちらも人間の欲が暴走する過程を描いた作品です。

 

次は、岩井恭平先生です。

この方の作品は、基本的にボーイミーツガール風味の強いSFと超能力ファンタジーです。

小説版の”サマーウォーズ”を執筆されています。

ライトノベルらしい文章ですが子供っぽさはないですし、登場人物が生き生きしてるので自分は好きです。登場人物が自分の居場所を求めているのが、自分の琴線に触れたのだと思います。

好きな作品は、”ムシウタ”シリーズですね。ボロボロになりながらも自分の信念を曲げない少年少女らがとても魅力的な作品です。

 

最後に、故 夢野久作先生です。

この人の作品は、ミステリーともホラーとも推理とも言い難い。

最も有名な作品は、”ドグラ・マグラ”でしょう。日本探偵小説三大奇書とか呼ばれていますね。面白くとも読みにくくてしょうがないです(笑)

作品の雰囲気が陰鬱で救いのない作品が多いかと思います。文体の癖が強く、読み進めるまで要領を得ないことも多いので、江戸川乱歩先生の作品以上に人を選ぶかと思います。

好きな話は、”死後の恋”ですね。表現の方法はエグいですが、人間の裏も表もしっかりと表している作品だと思います。

 

 

他にも、百田尚樹先生や冲方丁先生、富樫倫太郎先生、柳田国男先生の作品を好んで読みます。

凄いざっくりとした嗜好を言うなら、人間の生き方を書いた作品が好みですね。ジャンルとしては伝記なんかも好きですが、情報が多すぎるし時系列が上手くつながらない事が多いので苦手です。

絵本や児童文学なんかも好きですが、流石にそれらのコンテンツに触れる場所に自分がいるのは主としている顧客層に申し訳ないので遠慮がちですね。

情報の定着具合が酷いので、学術書自己啓発本、ビジネス書は避けがちです。そんな面白いとも思えないですし、身にならない情報を取り入れてもしょうがないという考えからですね。

 

 

本当ならこのまま漫画なども……と考えていたのですが、それは字数を考慮して止めておくことにします。

漫画などは、後日に持ち越させていただきます。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

「無敵の人」は何故生まれるのか ~川崎殺傷事件を考える~

皆さん、こんにちは。このブログの筆者のやくひなです。

 

 

川崎での殺傷事件によって「無敵の人」という言葉が世間にそれなりに認知される事となりました。痛ましい事件だと思いますが、まあ起こるべくして起こったのかなと思わないでもない次第です。別に犯人を擁護するつもりはありません。他者の命に干渉することは許されざることだとは思います。

ニュースやワイドショーなどでも調査・考察が進んでいますが、流れに乗じて自分も駄文を垂れ流してみる事とします。

専門家でもないですし、犯人の人柄を知っている訳でも無いので、真相とは程遠いものにはなりますが、シンパシーは感じないでもなかったのでここに書くこととします。

 

 

そもそも「無敵の人」が生まれる要因は何なのかという話なのですが、これは多分日本に強く根付いている”はみ出し者に当たりが強い”っていう社会背景があると考えています。

 

人間は何かと優劣をつけたがります。どこの国もそうなのかは知りませんが、日本人は周りから抜きんでる事も落ちこぼれる事も基本的に良しとはしません。それなのに優劣をつける事をしますので、当然明快な弱者を必要とします。いわゆる格下の人間と言う奴です。

そして、格下の人間が這い上がることを許そうとしない社会風土が出来上がっているように自分には感じられます。新卒を過剰に有り難がり、ニート・童貞などの今まで日の目を見ていない者達には強く当たる。不幸があってその立場に甘んじる事を余儀なくされた者達に強く当たる。普通の事のように感じるかもしれませんが、これは普通じゃありません。

別にそういった格下の人間を優遇しろなんていうつもりは毛頭ありません。必要以上に刺激するなと言いたいだけです。

 

はみ出し者に当たりが強くなりがちなのは分かりますが、そういった人たち自身が一番現状の自分を否定したくて堪らないと思っていることも多いでしょう。

自分で自分を否定しているところで、外部からも排斥されたらどうなるのか。

不条理な話ですがその怒りは、矛先を外部に向けます。

「自分が悪い、どうにかしなきゃ」と思っていたものが、「受け入れない社会が悪いんだ」と変換されることになります。その方が自責の念と良心の呵責に悩まされないで済みますから。

個人の発言が不特定多数への害意に変わるわけです。

それが今回の事件の動機に繋がったと自分は考えています。

 

 

さて、次に今回の事件被害者の方に目を向けてみる事とします。

被害者の属性は、死亡者が成人男性1人と女子児童1人。重軽傷者が大人1人に子供16人の合計19人みたいですね。

まあ、大人2人はその場に居てヤらなきゃ妨害されると判断したんだと思います。狙いは子供だったはずですので。

何故子供を狙うのかと言うと、”自分より弱い者である”というのがまず一つあります。子供相手なら抵抗してきたにしろ、逃走したにしろその後の対応はそう難しいものとは思えません。

 

次の二つは確証があるわけではないですが、自分ならそういう選別をするというものです。

二つ目は、”たまたま目についた”というものです。目についたというのは少し違うかもしれません。子供の声と言うのは、大きく高いので耳につきます。強制的に存在が認識させられやすいのです。普通の人なら苛立つことはあっても、まあ子供のやることだしと割り切れるものでしょうけど、普段から怒りをため込んでいる人は違います。子供だからこそ、強く出ます。しかし、そんなことをしても怒りは収まる訳がありませんし、問題の解決には繋がりません。一人がやめたとして子供は多くいます。

三つ目は、”不幸を拡大する為”というものかと思います。はみ出し者は往々にして何かしらの鬱憤は抱えています。それがどういう事に根差している物なのかは人によりますが、自分がはみ出し者であるという意識から生まれたものであるというのは確かでしょう。はみ出し者であるからと排斥された者は、個人に対しての恨みよりその属性に対して恨みを向けます。

子供と言うのは幸せの象徴として見られています。幸せの象徴であるならそれを傷つけたらどれだけ多くの人が胸を痛めるのでしょうか。

大人を傷つけてもせいぜいその人の親族と会社、友人程度にしか心の傷を負わせられません。部外者は「怖い」「じぶんじゃなくてよかった」その程度でしょう。その点、子供を傷つけたなら、親族、友人、学校関係者、習い事先、関係のない子供持ちの親などに恐怖心を植え付けられます。

計画が頓挫する可能性が低く、被害を大きくできる。これほど都合のいい対象はありません。

 

 

次は場所に目を向けてみようと思います。

場所は朝の私立小学校スクールバスの停留所でしたっけ。これも上手い選択だなと思います。

こういう事件って、公園とかが選ばれそうなものですが、公園ってそれなりに大人の目が有る場所で遮蔽物もあり子供が点在するので、子供が逃げた場合に追うことが困難な場所に思えます。

その点、朝は仕事の為悠長に子供に目を向けている暇がある大人は多くありません。そもそも、そんな事件が起こるんて想定もしないでしょうから、目もくれないかもしれません。そして、スクールバスの停留所だと子供は一カ所に集まり、それぞれが友達と話す、道路を見つめるなどしているでしょうから、あまり近くの様子に気を配っているような子がいるとも思えません。さらには、犯人が襲いかかって気付かれたとしても子供たちには学校に行くという使命があるので、反射的に逃げるという選択が出来るかは疑問です。

私立学校の生徒の親は金持っている(成功している)イメージがあるので、嫉妬ももしかしたらあったのかもしれません。

 

 

今回の事件が自殺によって終息したように「無敵の人」と呼ばれる人は、失って困るものを持っていないこと自体が事件の動機として考えられるわけです。

「無敵の人」を生み出さない方法は大まかに二つに分けられるのかなと考えています。

一つは、”はみ出し者を今以上に排斥すること”です。これはてっとり早そうに思えますが、現実的ではありません。中途半端じゃどうしようもないですし、さらにヘイトを溜めるだけですから徹底的にやる必要が有りますが、その方法が現状用意できないかなと思います。

もう一つは、”はみ出し者を受容すること”です。はみ出し者がはみ出し者である所以は、社会が排斥するからです。別にはみ出し者を優遇しろなんて言うつもりはありません。はみ出し者であることを受け入れてください。無関心でいればそれでいいのではないかと思います。そうすれば社会復帰するにしろ、社会から逃避するにしろ自分でケリをつけるでしょう。

 

無敵の人とそうでない人の違いは、お金の有無よりも、自分の存在意義の有無が大きいと思います。ホームレスが無敵の人かといったら違うはずです。彼らには彼らなりのコミュニティがあるはずですし、それなりに社会とのやり取りもあるでしょう。

今回の事件の犯人は色々と複雑な家庭環境みたいですが、おそらく自分の居場所が感じられなかったんでしょう。

犯人にとって被害者は社会に対する復讐の足掛かりであり、一人で逝くことへの寂しさからの副葬者だったのかなと思っています。

 

 

ここまで書いてきた自分の事をかなりヤベー奴って思う人もいるかもしれませんが、そういう事件を起こそうとは現状考えていません。ここで断定しないのは、実行の意思があるというより人間の意識は揺らぐものだという認識だからです。自分としては死ぬなら一人で逝きたいですし。

 

なんにせよ傍迷惑な犯人ですし、被害者の方々の心の傷が癒えることは切に願っています。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

サービスの好き嫌い

皆さん、こんにちは。このブログの筆者のやくひなです。

 

先日父が包丁を砥がないからと、ド素人の自分に白羽の矢が立つことになったのですが、あれ難しいですね。何が難しいって自分が常日頃使っている物じゃないから、成果が分からない。それで満足しているのかも分からないし、方法が適切なのかもよく分からない。なんとなく山姥を想起しながらひたすら砥いでいました。

今の子供って山姥という概念を知っているんですかね。とはいっても自分も三枚のお札くらいしか知りませんが。

まあ、そんなことはどうでもいいのです。

 

 

世の中には色々なサービスが日々生まれている訳ですが、皆さんはどうやってサービスの取り捨て選択をしていますか。暇つぶしに始めたアンケートサイトでは、たびたびサービスへの好感度とかを問われるのですが、その回答にどんな価値を見出しているのか自分にはよく分かりません。

自分にとってサービスへの好感度は選択基準には成り得ないからです。ですので、店員の態度が悪いとか言っている人を見ると不思議に思うことも度々あります。今回はそんな感じで書いていこうかと思っています。

 

 

サービスというものは、3つに分類できるのかなと自分は考えています。

1つ目は自分の時間の節約や自分の行動を拡大する類のもので、2つ目は自分の手には負えないものを他人に外注する類のもの、3つ目は両者を併せ持つ類のものです。

運送業や外食産業、小売業なんかの商品に対価を払う1つ目に、医者や大工などの技術に対価を払うものは2つ目に、レジャーや娯楽などの経験に対価を払うものは3つ目です。

 

このうちサービスへの好感度で選択肢が変わっても不思議でないと思うのは3つ目の経験に対価を払う類のものだけだと思います。というのも、これだけは代替しないという選択を取れるからです。

別にレジャーや娯楽が充実していなくとも死にはしません。精神衛生上良くないというのはありそうですが、直ちに生活に支障をきたす類のものではないですから。

この類のサービスは物質依存ではなく人間の脳構造に依存しているものなので、サービスに人間が関わっている方がいいと思います。機械やAIには快不快の判別は出来ても快不快を知覚する事は出来ませんから。

 

逆に1つ目の商品に対価を払うサービスと2つ目の技術に対価を払うものは、さっさと人間からAIに置き換えられるようになったほうがいいと思います。これらは劣悪なものはさっさと淘汰されるべきです。好感度が有るからと言って劣悪でも許されているというのはよく分かりません。

勘違いされたくないのがここでの劣悪なものとは、介在する人間の態度ではなく、商品の価値です。自分からしてみると飲食店の料金は店内のレイアウトや調理の手間と味に対する価格で、医者にかかった時の費用は診察過程の消耗品費と診断内容への対価です。別に従業員の態度はどうでもいいのです。何かが気に食わなかったらもう行かないだけで、改善させようなんて思いません。

接客態度が悪くても価格の安さや商品の質・技量がいいなら利用したいですし、接客態度が良くても価格が高かったり商品の質・技量が悪いなら利用したくありません。

 

 

「お客様は神様」という言葉がありますが、この言葉を生み出した人は本当に罪深いと思います。当人は意図していなかった使われ方だとは思いますが、言葉は一人歩きするもので、人間は自分に都合のいいように物事の認識を変える生き物です。神様であるなら過剰サービスを要求してもいいと考えるようになるのは当然だと思えます。

従業員は最低限の礼儀を弁えるべきというのは思いますが、本来それは客が要求することではありません。相手も人間ですし、お金を落としても客はサービスを利用させてもらっている立場です。ギブアンドテイクの関係でしかありません。

 

どうしてここまで客側に増長している輩が多いのかと考えると、企業側が客に媚を売り過ぎたというのがあるのでしょうけれども、日本にチップ制度が無いのも一つの要因なのかなと思います。

チップ制度が無い日本だと、「お客様は神様」が無いと客の立場が強いとは言えません。人間は浅ましいので、上下関係に並々ならぬ拘りを持ちます。そんなところに降って湧いた「お客様は神様」という言葉は、消費者の格を上げて対等になるのにちょうどよかったのでしょう。それである程度のバランスがとれていたのに、企業側が自分から格下であるという表明をし始めたので歯止めが効かなくなったというところでしょうか。

 

チップ制度導入はサービスのボーダーは下がると思いますが、平均値は上がると思います。自分の態度が自分の収入に直結するんですから、それなりに賢いならそれなりの態度を心掛けるようになるでしょう。消費者側は出費が増える事となりますが、収入が有るものならチップをもらう側にもなっているでしょうから、まあ、トントンくらいにはなるでしょう。チップを貰えない側の消費者は無駄に増長しなくていいかと思います。質の良いサービスはただじゃないってことが身に沁みるでしょう。

まあ、こんなこと言っちゃいますけど、今更チップ制導入は無理があると思っていますけどね。少子高齢化で保守派の割合が高いであろう日本で、変革を望むのが無茶です。店としてもスタッフに客が付くのは、リスキーとも言えますからね。

 

 

従業員の態度なんてどうでもいいと言っても意外と賛同を得られないので不思議なのですが、多数派は従業員の態度も選択肢に入れてのサービス選択をしているんですかね。

どういう考えをしているのか、教えて貰えたら幸いです。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

終身雇用制度は継続する必要あるのか

皆さん、こんにちは。このブログの筆者のやくひなです。

 

昨日のニュースでトヨタの社長が「終身雇用の継続にインセンティブがあまりない」、経団連の会長も「終身雇用の継続は困難だと考えている」というような旨の事を発言していました。労働者のトップたる者が無責任にそういう事を言うのはどうかとは思いますが、これが現実ですし、なるべくしてなっているのでしょう。

代わりに中途や派遣の社員が増えているとのことも発言としてありましたが、自分としては何で他人事のように言っているのかが分かりません。推進していったのは国でしょうし、どちらかというと推進主導に近い立場の人間であるのにも関わらず知らなかったかのような発言に、若干苛立ちを覚えました。

今回は自分の終身雇用制度への考えを記していきたいと思います。素人考えでそういった事に対する知識も浅いのでそんなに特別なことは書けませんし、色々と間違ったことも書くかと思います。その気づいた際には、指摘してもらえると助かります。

 

 

そもそも終身雇用という制度、時代にそぐわないのは勿論の事、なぜそれで行こうと過去にGOサインが出たのか、個人的に不思議でなりません。ぶっちゃけ金の為に仕事はするものと考えている無職には、終身雇用を前提とした雇用も経営も無駄が多いように思えます。なんで性善説を元に、リスクを度外視した雇用形態をとるのかが分からないのです。多分経営初期段階の出費を抑えて、軌道に乗ってから職員にも還元できればいいという発想でスタートしてるのだと思いますが、問題があります。

 

勤続年数と仕事の技術が比例し続ければ会社側としては問題ないのでしょうけれども、労働者側としては、クビが切られなければ基本的に給与は上昇する一方なので、別に仕事の技術を向上させ続ける必要はないという事です。これは、労働者の権利が手厚く保護されればより顕著になります。これは、経営者側から見た場合の問題点です。

逆に労働者側から見ると、いくら仕事が出来たとて基本が年功序列に類するシステムなので基礎給与がすぐに向上することはありませんので、自己の頑張りを会社は評価しないという不満に繋がります。

これら二つは相互に作用して負のスパイラルを生むと思います。ほどよい無能が得をし、有能と無能が割を食うのが終身雇用制度です。

 

また、終身雇用はその会社の成長及び国の成長が止まらず、人の年齢比が変わらないことを前提とした制度です。それを踏まえると、バブルが崩壊した時点で別の方向に舵を切ることを考慮し始めるべきですし、少子化が顕著になった時には舵を切るべきだったと思います。

船頭多くして舩登らずともいいますし、何事もバランスが大事です。年功序列を継続するのならば給与は年代比にして、貴重な若年層に金をある程度持たせる必要があると思います。そうはいっても若いだけの無能に高い金をかけるのもどうなんだとは思うので、やっぱり速やかに終身雇用は終了して、雇用に流動性を持たせる方向に進むべきだとは思います。

 

雇用の流動性が高くなると当然豊かになる人と貧しくなる人の差が生まれる訳ですが、別にそれはそれでいいと思っています。

自分は切り捨てられる側だとは思いますが、無能で需要が薄い奴らの面倒を見るために国とか会社が沈む必要を感じていません。弱肉強食、自然淘汰、持たざる者は消えていって然るべきです。また、ブラック企業と言われるような会社を支えるために労働者が割を食う必要もないと思います。消費者需要はあれども、労働者に不当に厳しい会社もまた淘汰されるべきでしょう。

 

 

中途や派遣で会社を回すようになるというのも、自分としては悪いことだとは思いません。制度が悪いなら、制度に抵触しないように立ち回る必要が有るというのは理解できますので。ただ、必要以上に安く使おうとするのはどうかとは思います。自分らの蒔いた種のリスクを労働者側に押し付けるのは、いささか虫がよすぎるのではないでしょうか。非正規労働者の給与を挙げて、ある程度の金で繋ぎ止めておけるなら安いと考えた方が後々得する気がしています。労働者が消費者に変わる時のブランドイメージの補正になることもあるでしょうから。

 

 

大多数の人間はお金がないと生きていく事が出来ません。少子化や消費の縮小傾向は、行動原理が変化したのではなく、元手が足りていないから順位付けの選択肢に入れられないために起こっている事だと思います。どちらも政策の不備ではあるのでしょうけれども、回り回って自らに降りかかる事でしょうから、雇用側でもどうにか対応する必要が有るでしょう。無茶苦茶言っているとは思いますが、上が動かないなら動けるところから動くほかないでしょうし。

 

 

余裕は人間が人間として生きるのには欠かすことができません。不景気が長く続いている今の日本では、皆どこか余裕というものを失っています。

どこかしらで光明が見れるといいのですがそれもしばらくはなさそうですね。

無職の自分はしばらく節制に努めようとおもいます。会社の為に命張るとか馬鹿らしくてやってられません。

 

ここまで読みいただきありがとうございました。