反社会的人間の戯言

底辺大学卒業の工場作業員の♂である自分を通して反社会的人間の思考回路を観測してみよう。  ※文章が支離滅裂なときが度々あります。

自己紹介と人格形成歴 その3

皆さん、こんにちは。このブログの筆者のやくひなです。

 

さて、前回前々回で高校卒業までの経緯を綴ってきましたが、ここでその続きを語ることとします。

ぶっちゃけここまでの話が面白いものになっているのかは自分ではよく分かりませんが、まあいいとしましょう。

 

 

とりあえず大して行きたくもない大学に入学し、とりあえず気のおける友人を数人見つけることができました。サークルにも入りたいと考えていましたが、家手放しに裕福と言えるほどではなかったため、先ずは家計の足しにとアルバイトを始めることにしました。しかしながら、自分からバイト探しなどをすることもなく、見かねた母親がその時勤務していた食品スーパーの求人を持ってきたのでそこで週4日勤務することとなりました。要領よく生活を行うだけのパフォーマンスは持ち合わせていなかったので、サークルに入って活動するなどということは水泡と帰しました。

 

少し話が遡ることとなりますが、大学入学の頃からY子とは連絡が取れない状況になりました。まあこれまでも時たまあったことなので、そんなに心配はしていませんでした。

 

 

大学1年の前期はしっかりと単位の方を取得していました。しかし、そこは特別学習意欲があった訳でもない自分の事です。ずるずると講義をサボる頻度が上がっていき後期は数単位しか所得出来ない事態になりました。しかし、ここでどの程度なら講義をサボっても問題ないのかを計算し、計画的に登校するようになりました。本物の阿呆ですね。

 

さて、同時期の夏ごろに偶然趣味の場で高校の時の知り合い達と顔を合わせることとなりました。まあ、Kグループとでも置いておきましょうか。そのなかの1人の女の子と仲良くなり、クリスマス前には晴れて付き合うこととなったのです。ここでは、A子と呼ぶこととします。蛇足を承知でどこで告白されたのかを書かせて貰います。バイト先のスーパーで仕事中にです。その時、近くに母親もいました。正直、滅茶苦茶恥ずかしかったです(笑)

ピュアボーイの自分は付き合うのなら結婚まで見据えるべきという、現代にはそぐわないのではないかと疑うような思考回路をしていたのです。しかし、付き合う前にはA子が10歳近く年上でフリーターの彼氏とやることやっていたという話を耳にしていた為、どうにも受け入れることができず無事拗らせることとなりました。そうです、リアルではそんなに耳にすることは無いがネット上には多数存在する処女厨の完成です。

A子とは、半年ちょっとで別れることとなりました。よくそこまで関係が続いたと我ながら思いますね。

また、A子との交際中にY子から突然連絡が来ました。A子と別れることに決めた決定打はY子と連絡取れるようになったことです。この頃から、Y子と一緒に出掛けたり、飲みに行ったりすることがありました。しかし、しばらくするとまた連絡が取れないようになりました。

 

 

なんだかんだで、大学三年。今年中にほとんどの単位を揃えて、来年新卒でどこかの会社に内定をもらい、Y子に真剣交際を申し込もうと思っていた矢先、Y子から突然の連絡が届きました。

 

結婚することになりました

 

すぐにはその文面を受け入れることができませんでした。どうにかその意味を受け止めたは良いものの、そのころには就職する気は完全に無くなっていました。長年目的としていた場所が失われたからです。就職することに意味を見いだせなくなっていました。

 

結局卒業ギリギリまで講義を受けるために大学に通い、就職活動を一切することもなく大学を後にすることとなりました。

 

 

卒業後もパートとしてバイト先で働いていましたが、バイトを休み在学中に貯めていたお金を使うことで、四国遍路をすることに決めました。大学在学中にもしたいとは思っていましたが、夏休み期間で戻ってこれる保証も無かったのでずっと我慢していたことです。4年越しの祈願が叶うこととなりました。

 

お遍路は真夏の決行でしたのでとても辛かったですが、色々な人のお世話になりながらやり遂げることが出来ました。その経験をしたこと自体には全く後悔など無いのですが、ここで新たな問題を抱え込むことになりました。

就職したら長期休みが取れない=この経験が出来ない”という発想です。

この発想が元から興味が無い就職というものから、更に足を遠ざけることとなります。

 

その年が明けた頃、2人目の彼女が出来る事となりました。この経緯は色々あったのですが、まあ省略させていただきます。

その彼女との交際も夏には終わることとなりました。あたかも、外部からの干渉で別れることになったかのように書いてますが、普通に破局です。ごめんなさい。

 

その彼女と別れたことをきっかけに簡単な資格を2つ取得しました。そしてふと青年海外協力隊として活動したいと思い、5年以上離れていた英語の勉強をしました。

とりあえず青年海外協力隊としての最低応募条件を満たし、いざ応募と思ったところ、自分の条件で応募可能な案件が無く、そこでどうでもよくなりました。しょせんはその程度の心構えだったのです。

 

前述のエピソードが2018年の春の話で、その夏とりあえず就職をするかと思い長年勤めたパート先に退職の意思を伝えたものの、色々あった結果翌年2019年の1月末での退職を余儀なくされる事となりました。これはまあ自分の押しが足りなかった結果なので、しょうがないと思います。しかし、ここまででなんとなく察している方もいると思いますが、かなり気が変わりやすい自分に半年の期間は長すぎました。就職する気もなくなっていたのです。そして、2018年の酷暑に中てられて自律神経もどっかいってしまいました(笑)

 

 

この紹介文を書いている現在は、失業手当を取得するための待機期間であり、暇を持て余した結果、このような駄文を書き散らす事となりました。

 

生きる動機となるようなものもない為、思考が紆余曲折した結果として”反出生主義”も拗らせています。

 

そんな屑の思考回路がどんなものなのかをゆっくりと書いていきたいと思っているので、お付き合いいただけたら幸いです。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。