自己紹介と人格形成歴 その1
はじめまして。このブログの筆者のやくひなです。
筆者を自称するのは恥ずかしいものがありますが、適当な言葉が思い浮かばなかったので、この言葉を使うこととします。
仮にも自己紹介とタイトルに置いたからには自分を知ってもらわなくてはならないですね。
正直、自己紹介と言ってもみてる人が何を知りたいのかわからないのですが。
まあ、適当にどんな奴なのか知ってもらえるよう、自分のためにもバックグラウンドを整理していくとします。
生まれはなぜか下町で、千葉県育ちの男子です。
4つ下の弟がいます。
小学校までは特筆するようなこともない普通の元気な男の子です。
特筆することが無いっていうのは、本当に正しいのかわかりません。
何故なのかわかりませんが、物忘れがとても激しいからです。
ですから、正確には特筆すべきことが存在してるのかわからないってのが正しいですね。
人当たりはというと結構よかったのではないかと思います。
男女問わず仲のいいクラスメイトも多く、何かしらの問題がある子とも仲良くしてたようです。まあ、嫌ってた相手も嫌われてた相手も多かったでしょうけども。
これも憶えがあるわけではないので記憶を元にした証言ではないです。
しかし、そういった子からの手紙と作品が何通か手元に残ってるのでまあ間違いないでしょう。
そのころ、学校でいじめられていた時期があり、不登校だった時期もあるようですが自分の記憶には一切そんな過去は存在していません。なんかおばさんが担任だったような気がします。担任もいじめに加担していたとかいう話も耳にしたことがあります。
4年生辺りで引っ越してきた男の子とその週のうちに仲良くなって遊ぶようになりました。今思うと、行動的すぎるでしょう……。子供の環境適応力には恐ろしいものがありますね。ここで付き合う友人がかなり絞られてきました。
なかなかに手癖は悪かったです。考えて行動するようなタイプではなかったので、人の家や商店などで片手ほどの回数は物を盗るということをしています。
返せてない友人や商店には、悪いことをしたと思っています。
その理由は正直分かります。
お小遣い制もなく、欲しいものを手に入れられる環境が整っていなかったというのが要因でしょう。
両親に伝えてみれば手に入ったのかもしれませんが、それらの行動をした時期と両親の不仲の露呈から離婚までの時期が大体一致してるであろうことを考えると子供なりに遠慮しての行動だったのではないかと思います。子供だなあ。
また、父親が日中家にいた時期があり、母親のパートを一緒に迎えに行ったような記憶もあるので、多分父親が無職でパートの母親が家計を支えてた時期もあると考えられます。学童に通ってたこともあり、多分その時期なんでしょう。多分そのことも関係していると推測されます。
ここからは当然の事ながらあまり人に語りたい話題ではないのですが、人格形成の面を見ると語らないわけにもいかないので触れることとします。
5年生辺りで、両親が離婚しました。正確な時期は憶えていません。
夜中に喧嘩の声が聞こえたたと思ったらガラスの割れる音がして、とても怖かったのは憶えています。
そこで完全に歯車がずれたんでしょう。離婚の話は自分たちをよそにとんとん拍子に進んでいきました。
離婚自体が嫌な私も、とりあえず母親についていく事に決めましたが父親がそれをただで見過ごすわけもなく、その話は無かったことになり、母だけを自宅から追い出す形でのその後の生活がスタートすることとなりました。
日中自分たちのめんどうをみる大人がいないことを憂いた母と共に、父の妹(叔母)のところに祖母が面倒を見ることを承知してくれと頭を下げに行った事が妙に記憶に残っています。
とにかく両親の離婚が人生におけるターニングポイントになったのは間違いありません。ここで2つのことを脳に焼き付けられることとなりました。
1つ目は、”自分が願ってもどうにもならないことはある”ということ。
2つ目は、”親密になればなるだけ、離れるときに痛い思いをする”ということ。
このふたつは、今の自分にも多大なる影響を及ぼしてると言えるでしょう。
”そんなの甘えだ”という人もいると思います。
ぬるいことを言ってると思う時もありますが、実際そういう思考形成がこの時になされていることは事実です。
いじめのときか離婚のときからなのかは定かではありませんが、そのころには”大人は無条件に信用していいものではない”という考えも持つようになってました。
習い事といえば、幼児期から小4辺りまで水泳を。
小1から中1辺りまで公文式を。
小2から小5半ば辺りまでバレーボールを。
それぞれ週2程度のペースで習っていました。
サッカーをやった憶えもあるのですが、通った憶えはないので習うには至らなかったのでしょう。
まあ、そんなこんなでいろいろありつつ小学校は卒業となります。
特に感慨深い思い出とかもありません。というか、ほんとに記憶が曖昧でここに書いたことが正確なのか自信ありません。
なんか長くなりそうなので、ここらで一旦終わりとさせていただきたいと思います。
ただまあ、こんなところで打ち切りというのもなんですので次回に続きたいと思います。
にしてもまあ、意外と文章量は書けるもんですね。
ここまで、お読みいただきありがとうございました。