反社会的人間の戯言

底辺大学卒業の工場作業員の♂である自分を通して反社会的人間の思考回路を観測してみよう。  ※文章が支離滅裂なときが度々あります。

金は使ってこそ意味を持つ

皆さん、こんにちわ。このブログの筆者のやくひなです。

この間、初めて金券ショップを利用したのですが、地味にありがたいものですね。気持ち程度しか安くならないと軽んじていましたが、塵も積もればなんとやらといいますし、これからも度々利用したいと思いました。ちなみに、購入した品は図書カード5000円分です。4800円でした。

 

 

今回は、お金に関しての話を書いてみたいと思います。

会社勤めの人は勤め先に何事も無ければ定期的に給料が入ってくると思います。しかし、自分みたいな無職は違いますし、フリーランスや自営業などにあたる人も違います。経営者も同じく賃金は発生するものではありません。

会社員ではない人にとっては、基本的にお金は入ってくるものではありません。自らの能力で工面するものです。基本的にというのは、座っているだけでお金が入ってくる人も少数ながらいるだろうからです。

下世話な話ではありますが、自分がブログを開設にもそういった意図が無い訳ではありません。自分が好き勝手言える場が欲しかったというのはありますが、文章を作るという行為をお金に繋げるにはとりあえず何かしら書く必要が有るだろうと考えた結果です。

 

貯蓄を多分に保持している訳ではない労働嫌いの自分はどうにか労働以外の方法で収入を得て、必要のない場所では出費を減らすということをせざるをありません。

そういう状況なので、お金というものを考える時間が増えたのですが、そもそもお金ってなんなんでしょう。

 

 

自分の出した結論は、”生活圏において共通の価値を持つただの紙きれ”というものでした。

この結論もまだ考えが足りないのかもしれないとは思いますが、ただの紙切れであるのは間違いないと思っています。これは外国の通貨の日本における価値を考えれば分かる事なのですが、日本で外貨は一般的に使用できません。何故かというと、共通の価値認識が成されないからです。

日本の紙幣とその倍の金額に相当する外貨の交換を求められて交換する人がどれだけいるのか想像してみると分かるかと思います。日本での事なら交換する人はあまりいないのではないでしょうか。資産としては倍になっている訳ですから交換するのが得なはずですが交換に応じないのは、日本における資産としての価値が薄いからでしょう。逆にその外貨が使える国での事なら喜んで応じるのではないかと思います。資金が倍以上になるわけですから。

これらをふまえて上記の結論が導き出されました。そして、見出しの使ってこそ意味を持つという認識に至りました。溜めこむだけではしょうがないという判断です。

 

 

皆さんご存知の通り日本の銀行には利息というものが存在しています。存じないという人は、お金の使い方を見直すべきだと僭越ながら申し上げます。しかしながら、その利息は昔と違い雀の涙にも満たない金利となっています。いくら貯蓄していたら、1回のATM手数料分の利息が出ることやら。

そのことを考えると銀行に眠らせておくのはもったいないと言わざるを得ません。別の形の資産に変化させることが望ましいといえるでしょう。自分は昨年、仮想通貨に数万つっこんで塩漬けにしてあります。落ちすぎて現金化する気にもなりません(笑)

 自分はマイナスを出した側でありますが、当然あれだけニュースになった訳ですからプラスになった人もいるわけです。何が違うのかといいますと、どれだけリスクを恐れなかったかだと思います。プラスになった人は、もっと前の段階から開始していた。マイナスになった人は、出遅れた。それだけの話です。

 

別に仮想通貨みたいなギャンブルじみた事をするべきなんて言うつもりは毛頭ありません。それでも家計を少し見直して積立NISAでも、株式投資でもいいから余剰資金は運用すべきだと思っています。どちらも何の心配もなくお金が増えるというたぐいのものではないですが、銀行で埃かぶっている事を良しとするよりよっぽどいいと思います。

株式は一定量所持していると優待が受けられることも有るので、節約にも繋がると言えなくもないでしょうから結構良いのかなと自分は考えています。

 

自分はお金を集める行為に一切のリスクが無いというのはまずありえないと思っています。ローリスクだと考えられる会社員ですら、会社に自分の未来を預けるリスクを背負っている訳です。これをリスクと捉えられない人は劇的な変化は望むべくもありません。一生会社にごはん食べさせて貰えるといいですね。

フリーランスや経営者の人は、自らの行動におけるリスクの多くを自ら引き受けることで利益を上げています。無職は人生を棒に振ることも考慮の上で、無職でいます。その人なりの事情や行動原理があるので、ただ羨み妬むのはお門違いです。

年金支給年齢の繰り上げがニュースで度々取り上げられる中で、薄々感じている人も多いかと思いますが、自らの老後を安心して国に任せられる時代は終わりを迎えつつあります。国には任せられないですが、このままならお金は必要不可欠です。となると、自らで老後資金を工面できなければなりません。

 

 

成り上がりたいなら、頭を使って必要なリスクを選択する必要が有るでしょう。そうでなくとも、資産運用はできるに越したことは無いでしょう。

何事でもそうなのですが女神が微笑むのは、多くの場合で自ら行動した者に対してです。指を咥えて羨んでいる者にではありません。

こんなこと言ってはいますが、自分の進みたい方向が未だに定まらない自分はいったい何をしたらいいんでしょうね。進みたい方向は見えているけど進めないのか、進みたい方向が見えていないのかすら、自分では分からない状況です。困ったものです。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。