何故献血に はまったのか
皆さん、こんにちわ。このブログの筆者のやくひなです。
皆さん、献血ってしたことありますか。自分は年に8回前後は行きます。
この記事を書いている前日も献血をしてきました。今回は、何故献血をするのかその理由を挙げていきたいと思います。
献血を好むのにも2つの要因があります。
1つは”献血センターの居心地の良さ”。もう1つは、”献血という行為への依存”です。
もちろん立地面で色々と優れているというのもありますが、主な要因は上の2つです。この2つの要因は、自分みたいな他人と一緒に居る事を好まない奴とはとても親和性が高いです。順に説明していきたいと思います。
1つ目の”献血センターの居心地の良さ”ですが、これは設備と利用者の2面から成り立っているものです。設備としては、空調完備、お菓子と飲み物自由、ある程度の漫画も用意されていると小さな漫画喫茶のような待遇です。よく行くセンターは、手相占いやカラーセラピーなども偶にやっていますね。これらの行為に支払いが発生しません。収入が発生していない無職には、とてもありがたいことです。
さて、ここで先ほど漫画喫茶と言いましたが、漫画喫茶の利用者を考えてみてください。あんまりガラが良くない人も思い浮かぶんじゃないでしょうか。献血センターはそういう人はほとんどいませんし、トラブルが起こるようなことも基本ないでしょう。
献血は受ける前に受付等で問診があります。これは、献血をする人と輸血を受ける人両者の健康被害を考慮してのものです。しかし、この受付で意図せずとも利用に適さない人を選別するということが行われます。アルコール、薬物を摂取している人はもちろん断られます。子供は献血対象とはならないですし、騒がしい学生集団はこういう場を好まないでしょう。仮に血の気が多い人が居たとして、採決後は物質的に血が足りません(笑)
こうして意図しない所で残った利用者の傾向から、静かで落ち着いた空間が出来上がるわけです。ここまでで、献血センターが居心地がいい場所であるということが少しでも伝わっていると嬉しいです。
2つ目の”献血という行為への依存”という面ですが、これは人によるかもしれません。少なくとも、自分は献血という行為に依存気味です。
初めの頃は、献血を通して誰かの役に立てばいいというような思いだけで献血に行っていましたが、今は違います。もちろん、自分なりの社会貢献ではあるのですが、自分の価値を創出する意味合いも少しあります。
「献血することで誰かの役に立ちたい」から、「献血してることで誰かの役に立っているから自分にはまだ価値がある」に変化したと言えばいいのでしょうか。
自分が嫌いだから献血するというのもあります。自傷行為の代わりに献血に行く、と言いますか。死ねないなら少しでも死に近づきたいみたいな。上手く言語化できません。しかし、輸血をするために血を抜くという一連のプロセスに意味を見出していたのが、血を抜くという行為に対する執着にシフトしているのは確かです。
他人を拒絶している自分みたいな奴らは、どうしても社会との繋がりが弱くなりがちです。しかし、人間である以上自分の為であれ、他人の為であれ誰かの役に立つことを望みます。それが、生きがいと言えるものなのでしょう。ですが、自分は自己の時間を売りに出してまで誰かに貢献をするつもりはさらさらありませんし、絶対遵守するほど自分の命も重要ではありません。そんななかで、責任のあまり生じない他者貢献の方法として献血が適していたというだけです。献血と自分の価値はギブアンドテイクの関係と言えなくもないでしょう。
また、献血後には粗品が貰えます。歯磨き粉やタオル、インスタント食品などが多いですが、夏場にはアイスなんかも出していましたし、アニメやアイドルのコラボグッズもあったりします。コラボグッズは、まあ献血に適している対象を招くためのものなんでしょう。
他にも、自宅に採血結果の成分表を送付してもらえるようなサービスもあります。人間ドッグとか受けるほどではないけど、ちょっと気になるみたいな人にはいいのではないでしょうか。
話は少し変わりますが昨日耳にした、天気や温度などの気候条件によって来場する献血者の血液型の比率が変わるというのは面白い話だと思いました。今もかもしれませんが昔血液型占いというものが流行りましたが、あんなバーナム効果を利用したような分け方ではなくもっと深い所で血液型と行動原理は関わっているのかもしれません。
普段からAとOはある程度集まるけど、BとABの集まりは芳しくないとも言っていましたし、最近は自分の血液型を知らない人も増えてきているというようなことも以前耳にしました。
この記事を読んで献血に興味を持った人は、是非一度献血に行ってみてください。
もしかしたらあなたの気まぐれで、救える命が増えるかもしれませんよ。
ここまでお読みいただきありがとうございました。