反社会的人間の戯言

底辺大学卒業の工場作業員の♂である自分を通して反社会的人間の思考回路を観測してみよう。  ※文章が支離滅裂なときが度々あります。

恋愛と結婚、擬似恋愛の関係 その2

皆さん、こんにちは。このブログの筆者のやくひなです。

 

前回の記事の続きを書いていきたいと思います。

にしても、私事で申し訳ないのですがもの凄く気分が乗らない。

今日の午前中には桜の開花速報が出され、外は超快晴。春の陽気で眠気が押し寄せてきます。それでも、脳の容量が少ない俺は書かざるをえません。忘れっぽいので。こういうところが自分は嫌いです。

 

 

さて、前回は恋愛と結婚の対象の違いについて書かせてもらいましたが、今回はそこに擬似恋愛の要素も含めて書かせてもらうこととします。 

 

前回から出ているこの擬似恋愛という言葉、どういうものを含むか多分皆様分からないですよね。

ここでは、恋愛小説漫画アニメなどの”2次元媒体”、レンタル彼女キャバクラヘルスなどの性風俗産業”、それらの中間層に位置すると考えている”アイドルや俳優等への恋慕”を指すつもりでいます。あくまで、定義分けのために呼称しているので、実際そのような言葉を使うことは無いのではないかと思います。

それらと恋愛や結婚を比較するのも烏滸がましいと思う人もいるかと思いますが、まあそこは別の人間ということで、見世物でも見るような感じで読み進めていってもらえたら幸いです。

 

 

擬似恋愛ですが、昔と違って今ではそこまで受け入れがたい要素ではないと私は思っています。というのも、以前は少数派であった価値観も現代はSNSなどの発展によって同じ価値観を共有する相手を見つけるのが容易になったからです。

 

先ほど挙げた3要素を同じ括りにしないでほしいと憤る人もいるでしょうけれども、傍から見れば大差ありません。本人がどう思っていようと、所詮は手に入らないものを追いつづけようとしている奴らです。どれだけ相手を望もうとも、相手はあなたなどどうとも思っていないというのが真理です。

擬似恋愛と自分が呼んでいるものは、往々にして”独善的な感情の動き”です。恋愛や結婚との最大の違いがこれだと、自分は思っています。

 

しかし、”独善的な感情の動き”でしかない擬似恋愛にも利点があります。というか、独善的であるということ自体が最大の利点となります。

それは、”恋愛の綺麗な部分、美味しい部分だけを楽しむことができる”というものです。

恋愛も結婚も当然ながら一人で出来る行為ではありません。かならず相手というものは存在しています。しかし、どこまでいっても相手は別の人間、完全に理解しあうなどということは叶いません。そこまでの過程に擦れ違いもあり、傷つくこともあるでしょう。それも楽しめる人ならいいでしょうけれども、現実は違います。自分なんかは、そんな面倒くさいことをしなければならないなら相手なんか必要ないと思います。

そういう人のニーズに当てはまるのが、擬似恋愛という要素です。

 

 

どういった時に人は傷つくのかというと、多分自分の理想が適えられなかった時です。擬似恋愛にはそんな心配はありません。所詮、自分の実生活との関係が深くないところで起こったことです。

好きな人、キャラクターに想定外の事が起こって感情を昂ぶらせ思わぬ行動を取る人もしばし現れますが、正直それもよく分からないんですよね。何がその人をそこまで衝き動かすのでしょう。

 

自分が恋愛に求めているのは、主に性欲を満たすことだけです。デートや日々の連絡なんかは、面倒ではあるが関係を維持するために必要な作業だと考えています。当然自分が恋愛していることで幸福を感じるようなことはあまりありません。

そして、相手がいる事ですから思わぬところで費用や時間、ストレスなんかが生まれます。「デートがしたい」「今すぐ会いたい」「なんで連絡くれないの」などは言われる事が容易に想像できます。相手個人に対するこだわりは殆ど無いので、その時の条件に適した方法を選ぶことが総じて合理的となります。

 

自分の場合は、恋愛のときめきは2次元媒体によって満たし、肉欲の解消は性風俗で満たします。どうでもいい話になりますが、自分は恋愛を扱った少女漫画は好きです。純粋でキラキラしてる恋愛が描かれているのがいいと思います。

 

デートをするということ一つとっても、計画実行改善のサイクルを回す必要があります。そこでは思わぬハプニングなんかもあるでしょう。でも、二次元媒体は違います。前もって選択されたルートを追想だけです。そこに予定が狂った時に起きる苛立ちなどというものは存在しません。

性行為にしても同じです。上手にお膳立てした挙句、不確実で手に入るのは一時的な快楽です。それも性風俗であればお金を払えば確実に行為が可能です。美は一過性の変動資産だと前回書きましたが、基本的には関係が継続して下がることはあれども上がることはありません。一番効率よく楽しむ方法は、その時だけ購入するという方法です。

 

 

また、自由恋愛主義の拡大と性風俗産業の大衆化が合わさったことで、そもそも非処女である場合、性風俗産業の経験があるのかの判断が困難となっています。確認してみれば分かることかもしれませんが、あくまで自己申告ですから信用できるのかは微妙なところです。判別したい要素があるのに、判別する手段が無い場合にとれる手段は、判別を諦め手に取るか判別できないものは手にしないかのどちらかです。

 

ここまでで相当屑な事を言っているのは承知ですが、自分は鬼ではありません。自分の時間を重要であるならば、その人の時間もまた重要であるということを重々理解しています。失礼承知ですが女性の場合、時間がそのまま資産価値に繋がります。結婚を考えれない相手との恋愛は、お互いに時間とお金の浪費をしているだけにしか思えません。だからこそ、恋愛というものがあまり好きになれません。

前回記した条件を満たす人が現れたなら結婚したいと思うのかもしれません。でも、結婚しない方がお互いにとって幸せなんだろうなと思っています。

 

 

うだうだと言い訳じみた言葉を並べてきましたが、考え方の度合いは違えどもこういう考え方の人は一定数はいると思っています。巷で時々話される「どうして若者は結婚しないのか」みたいな問題も結局この記事と同じようなことを要因として挙げていることも多いですし。

落としどころがよく分からなくなってきたので、この辺で〆ることにしますが、時代の変化に適応して人の考え、行動なんかは変化するものなのでどんな考えの人がいてもいいと思います。恋愛することで幸せになれると思うならすればいいし、思えないならしなくてもいい。皆がそういう風に考えることができる世の中になってくれる事を切に願います。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。