反社会的人間の戯言

底辺大学卒業の工場作業員の♂である自分を通して反社会的人間の思考回路を観測してみよう。  ※文章が支離滅裂なときが度々あります。

恋愛と結婚、擬似恋愛の関係 その1

皆さん、こんにちは。このブログの筆者のやくひなです。

 

 

今回は恋人と結婚、擬似恋愛ということをテーマにして書いていきたいと思います。

今現在、自分の私生活において、とてもタイムリーな話題です。

 

そもそも人間嫌いなお前が恋人などの相手を欲しいと思うのかと考える人も居そうですので、先に断言しておきましょう。

そのような相手自体は、欲しいです。

ただ、自分に他者との共同生活に関する適性は無く、また恋心は一時的な欲求なのを理解しているので適時別の方法で発散しています。文章に直すというのも、その方法の一つです。

 

前置きとして書きますが、自分にとっての恋人と結婚相手というのは同じものではありません。

恋人から結婚相手にというのが望ましいとは思っていますが、それは自分の場合難しいだろうなと考えています。というのも、かなり疑り深く嫉妬深い性格かつ飽き性で思考が二転三転するからです。こう書いてみるとくっそ迷惑な奴ですね。

そういうのもあり、恋愛結婚に至れる人達のことは浅ましくも羨ましいと感じます。人間性にも大きな問題は無く、損得勘定をどけて考えられることのなんと素晴らしいことでしょう。

 

とりあえず、ここからは恋愛と結婚、擬似恋愛の関係に対する認識を説明していきたいと思います。この記事は、気持ちこれまでより長くなりそうな気がします。

 

 

まず、最初に断っておきたいのが、自分は女性の顔立ちにこだわりが無いということです。正確にはこだわりが無いというか、こだわれないでしょうか。女性の顔立ちの良し悪しというものがイマイチよくわからないのです。上位20%と下位20%くらいは分かるのですが、中間層はよくわかりません。山田花子はブスとか言われてますが、全然ブスだとは感じません。

 

なら、恋愛対象と結婚対象をどこで区別しているのかというと、以下の3つの事柄になります。

1つ目が”金銭感覚が問題ない”ことで、2つ目は”相手の存在がストレスにならない”こと、3つ目は”処女性の有無”です。

自己紹介の記事でも言いましたが、自分は処女厨ですので3つ目の事柄は譲るつもりはよっぽどでなければありません。

 

3つの事全てに密接に関連しているのが”お金の重要性”です。

容姿の優劣が関係ないというのもこれに関係しています。どうせ長年一緒に居たら劣化していくものですし。美は女性に与えられた一過性の変動資産だと自分は考えています。そんなものにこだわる位なら、内面を重視したいと思います。

 

ですので結婚に関しては容姿の優劣はあまり関係ないと思っています。身長の高低も顔立ちの良し悪しも身体の肉付きもあまり関係ありません。

ただし、デブは別です。デブなんて不摂生が体に表れてる典型的な例です。自己管理もできない人は人間的に問題がある。と人間的に問題がある奴が断言します(笑)

しかし、ぽっちゃりさんはその時のコンディションにもよるかと思いますので別の話です。

 

まず、前提条件として自分は家庭内の男女の立場についてはかなり昔風な考え方をしていますので、結婚したなら家計は基本的に妻となった人に一任するつもりでいます。お金の管理苦手ではないですが、結婚とはそういうものだと考えていますので任せるつもりです。しかし同時に、生きてく上で万能なものはお金だと考えていますのでそれを預けるに値する人を望んでいます。それらが上に挙げた3つの事柄を重要視するということに繋がります。

 

 

1つ目の”金銭感覚が問題ない”ということですが、自己の収入を預ける相手の金銭感覚に問題があると貯蓄どころか負債が膨らむことが考えられます。基本的に減少を続ける変動資産の人生を抱えた挙句、生活が豊かにならないならその関係における男側のメリットはどこにあるのでしょう。

別に彼女であれば自分で稼いだお金をどう使おうが何も言うつもりはありません。赤の他人ですから、そこまで干渉するつもりもありません。しかし、共同の生活を送るとなったら話は別です。ある程度の節制はしてもらうつもりです。三食もやしでとか極端なことを言うつもりはないですが、女同士の金銭によるマウントの取り合いの舞台からは下りて貰うつもりです。具体的にはブランド物や海外旅行、エステなんかは遠慮したいものです。

 

 

話を2つ目の”相手の存在がストレスにならない”ということに移します。これ自体は特別なことを言っているとは思いませんが、ここでもお金は関係しています。

皆さんは、ストレス経費という言葉に聞き覚えはあるでしょうか。どこで見たのかは忘れましたが、ストレスと出費は相関関係にあるというようなことを説明した言葉です。他者と一緒にいるという状況がかなりのストレスとなりやすい自分は、バイトをしていた時は買い食いや本の大人買いなどで細かい出費が膨らんでいました。

 

さて、結婚生活はただでさえ他人との共同生活の上で成り立っているものです。収入は妻に一任するつもりで、手元には限られたお金があるのみ。ストレスはどこに向かうでしょう。行き場を無くしたストレスは、まず間違いなく同居人である妻に向かいます。自分としても正直そんなことはしたくないので、ストレスを持ちこまない人が望ましいのです。

別居婚でいいじゃないと思う人もいるかもしれないが、正直婚姻関係である利点が一切わからないので多分今後考えることもないでしょう。

 

彼女ができても関係が続かない要因の一つは間違いなくこれでしょうね。恋人からの連絡、恋人の行動一つ一つにストレスを感じ、ストレス源は排除すべきという思考が大変よろしくないんでしょう。しかし、自他問わず人間を変えるのは簡単なことではないですから。

 

 

3つめの”処女性の有無”ですが、これは嗜好と思考、両面からのものになります。処女厨とかキモチワルイと思う人がいてもそれはしょうがないのかなと思います。自分自身でもどうかしてるとは思いますし。

では、なぜ処女であるということにこだわるのかというと、それがその人の生き方そのものだと考えているからです。

 

基本的に他者と望んで性行為に及んだということは、それほどまでに好きになったが相手がいるということに他ならない。だがしかし、仮に今恋人としてその相手と寝台を共にしているとして、その相手との関係は無かったことになるのかというと絶対にならなく、相手を振ったもしくは相手に振られたという情報は必ずある。その前提が存在する時点で無条件に信頼できるものではないと考えるからです。

好きでもない相手と同衾したことがあるというのは、それこそ問題でしょう。自分以外とも条件が合えば行為をすることに抵抗が無いということに他なりません。どこに信頼できる要素があるんでしょうか。

ただ、こちらのパターンは個人的には好意的に見れる部分もあります。それは自分の容姿がお金に変えられること、自分が資産であるということ自体は理解している賢い女性であるということです。結婚相手としては一番御免こうむりたい相手ですけれども。

ただ、性的暴行で処女で無くなった女性は可哀想ですし、本人に罪はないのであまり拒絶したくはないですね。進んで選ぶということはしたくないですけれども。

 

また、仮に結婚したとして子供を持つということはするつもりがないので、他者と性行為を行おうとしない人が望ましいというのもあります。

総じて浮気のリスクを抑えたいというのが思考からの理由となります。

 

嗜好はまあ理論立てて説明するほどの事でもないので、他人のお手付きを養うつもりは無いということでまとめさせてもらいます。そんな慈善事業は好きな人がやればいいんですよ。

 

しかしまあ、”処女は最高の嫁入り道具”って価値観が廃れたのは何とも時代の移り変わりを感じるものですね。自由恋愛主義と女性の社会進出が合わさって廃れた価値観ですが、果たして廃れさせてよかったものなのか。

 

 

ここまでで、恋愛と結婚の対象の違いを明らかにしましたので、次の記事でさらに擬似恋愛とも関連付けて話を進めたいと思います。

 

 

しかしながら長くなるかなと思ってはいましたが、やはりというかなんというか。

筆が遅いのと、書き始めてから内容を文章としてまとめているのが合わさり、2時間以上座っているのですがずっと同じ体勢だと腰が痛くなりますね。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。