反社会的人間の戯言

底辺大学卒業の工場作業員の♂である自分を通して反社会的人間の思考回路を観測してみよう。  ※文章が支離滅裂なときが度々あります。

恋愛と結婚、擬似恋愛の関係 その1

皆さん、こんにちは。このブログの筆者のやくひなです。

 

 

今回は恋人と結婚、擬似恋愛ということをテーマにして書いていきたいと思います。

今現在、自分の私生活において、とてもタイムリーな話題です。

 

そもそも人間嫌いなお前が恋人などの相手を欲しいと思うのかと考える人も居そうですので、先に断言しておきましょう。

そのような相手自体は、欲しいです。

ただ、自分に他者との共同生活に関する適性は無く、また恋心は一時的な欲求なのを理解しているので適時別の方法で発散しています。文章に直すというのも、その方法の一つです。

 

前置きとして書きますが、自分にとっての恋人と結婚相手というのは同じものではありません。

恋人から結婚相手にというのが望ましいとは思っていますが、それは自分の場合難しいだろうなと考えています。というのも、かなり疑り深く嫉妬深い性格かつ飽き性で思考が二転三転するからです。こう書いてみるとくっそ迷惑な奴ですね。

そういうのもあり、恋愛結婚に至れる人達のことは浅ましくも羨ましいと感じます。人間性にも大きな問題は無く、損得勘定をどけて考えられることのなんと素晴らしいことでしょう。

 

とりあえず、ここからは恋愛と結婚、擬似恋愛の関係に対する認識を説明していきたいと思います。この記事は、気持ちこれまでより長くなりそうな気がします。

 

 

まず、最初に断っておきたいのが、自分は女性の顔立ちにこだわりが無いということです。正確にはこだわりが無いというか、こだわれないでしょうか。女性の顔立ちの良し悪しというものがイマイチよくわからないのです。上位20%と下位20%くらいは分かるのですが、中間層はよくわかりません。山田花子はブスとか言われてますが、全然ブスだとは感じません。

 

なら、恋愛対象と結婚対象をどこで区別しているのかというと、以下の3つの事柄になります。

1つ目が”金銭感覚が問題ない”ことで、2つ目は”相手の存在がストレスにならない”こと、3つ目は”処女性の有無”です。

自己紹介の記事でも言いましたが、自分は処女厨ですので3つ目の事柄は譲るつもりはよっぽどでなければありません。

 

3つの事全てに密接に関連しているのが”お金の重要性”です。

容姿の優劣が関係ないというのもこれに関係しています。どうせ長年一緒に居たら劣化していくものですし。美は女性に与えられた一過性の変動資産だと自分は考えています。そんなものにこだわる位なら、内面を重視したいと思います。

 

ですので結婚に関しては容姿の優劣はあまり関係ないと思っています。身長の高低も顔立ちの良し悪しも身体の肉付きもあまり関係ありません。

ただし、デブは別です。デブなんて不摂生が体に表れてる典型的な例です。自己管理もできない人は人間的に問題がある。と人間的に問題がある奴が断言します(笑)

しかし、ぽっちゃりさんはその時のコンディションにもよるかと思いますので別の話です。

 

まず、前提条件として自分は家庭内の男女の立場についてはかなり昔風な考え方をしていますので、結婚したなら家計は基本的に妻となった人に一任するつもりでいます。お金の管理苦手ではないですが、結婚とはそういうものだと考えていますので任せるつもりです。しかし同時に、生きてく上で万能なものはお金だと考えていますのでそれを預けるに値する人を望んでいます。それらが上に挙げた3つの事柄を重要視するということに繋がります。

 

 

1つ目の”金銭感覚が問題ない”ということですが、自己の収入を預ける相手の金銭感覚に問題があると貯蓄どころか負債が膨らむことが考えられます。基本的に減少を続ける変動資産の人生を抱えた挙句、生活が豊かにならないならその関係における男側のメリットはどこにあるのでしょう。

別に彼女であれば自分で稼いだお金をどう使おうが何も言うつもりはありません。赤の他人ですから、そこまで干渉するつもりもありません。しかし、共同の生活を送るとなったら話は別です。ある程度の節制はしてもらうつもりです。三食もやしでとか極端なことを言うつもりはないですが、女同士の金銭によるマウントの取り合いの舞台からは下りて貰うつもりです。具体的にはブランド物や海外旅行、エステなんかは遠慮したいものです。

 

 

話を2つ目の”相手の存在がストレスにならない”ということに移します。これ自体は特別なことを言っているとは思いませんが、ここでもお金は関係しています。

皆さんは、ストレス経費という言葉に聞き覚えはあるでしょうか。どこで見たのかは忘れましたが、ストレスと出費は相関関係にあるというようなことを説明した言葉です。他者と一緒にいるという状況がかなりのストレスとなりやすい自分は、バイトをしていた時は買い食いや本の大人買いなどで細かい出費が膨らんでいました。

 

さて、結婚生活はただでさえ他人との共同生活の上で成り立っているものです。収入は妻に一任するつもりで、手元には限られたお金があるのみ。ストレスはどこに向かうでしょう。行き場を無くしたストレスは、まず間違いなく同居人である妻に向かいます。自分としても正直そんなことはしたくないので、ストレスを持ちこまない人が望ましいのです。

別居婚でいいじゃないと思う人もいるかもしれないが、正直婚姻関係である利点が一切わからないので多分今後考えることもないでしょう。

 

彼女ができても関係が続かない要因の一つは間違いなくこれでしょうね。恋人からの連絡、恋人の行動一つ一つにストレスを感じ、ストレス源は排除すべきという思考が大変よろしくないんでしょう。しかし、自他問わず人間を変えるのは簡単なことではないですから。

 

 

3つめの”処女性の有無”ですが、これは嗜好と思考、両面からのものになります。処女厨とかキモチワルイと思う人がいてもそれはしょうがないのかなと思います。自分自身でもどうかしてるとは思いますし。

では、なぜ処女であるということにこだわるのかというと、それがその人の生き方そのものだと考えているからです。

 

基本的に他者と望んで性行為に及んだということは、それほどまでに好きになったが相手がいるということに他ならない。だがしかし、仮に今恋人としてその相手と寝台を共にしているとして、その相手との関係は無かったことになるのかというと絶対にならなく、相手を振ったもしくは相手に振られたという情報は必ずある。その前提が存在する時点で無条件に信頼できるものではないと考えるからです。

好きでもない相手と同衾したことがあるというのは、それこそ問題でしょう。自分以外とも条件が合えば行為をすることに抵抗が無いということに他なりません。どこに信頼できる要素があるんでしょうか。

ただ、こちらのパターンは個人的には好意的に見れる部分もあります。それは自分の容姿がお金に変えられること、自分が資産であるということ自体は理解している賢い女性であるということです。結婚相手としては一番御免こうむりたい相手ですけれども。

ただ、性的暴行で処女で無くなった女性は可哀想ですし、本人に罪はないのであまり拒絶したくはないですね。進んで選ぶということはしたくないですけれども。

 

また、仮に結婚したとして子供を持つということはするつもりがないので、他者と性行為を行おうとしない人が望ましいというのもあります。

総じて浮気のリスクを抑えたいというのが思考からの理由となります。

 

嗜好はまあ理論立てて説明するほどの事でもないので、他人のお手付きを養うつもりは無いということでまとめさせてもらいます。そんな慈善事業は好きな人がやればいいんですよ。

 

しかしまあ、”処女は最高の嫁入り道具”って価値観が廃れたのは何とも時代の移り変わりを感じるものですね。自由恋愛主義と女性の社会進出が合わさって廃れた価値観ですが、果たして廃れさせてよかったものなのか。

 

 

ここまでで、恋愛と結婚の対象の違いを明らかにしましたので、次の記事でさらに擬似恋愛とも関連付けて話を進めたいと思います。

 

 

しかしながら長くなるかなと思ってはいましたが、やはりというかなんというか。

筆が遅いのと、書き始めてから内容を文章としてまとめているのが合わさり、2時間以上座っているのですがずっと同じ体勢だと腰が痛くなりますね。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

コミュ障を自称する理由 その2

皆さん、こんにちは。このブログの筆者のやくひなです。

前回の記事の続きを 書いていきたいと思います。

 

 

前回の記事では次のような事を書かせていただきました。

 

コミュ障を自称する人にも、二つのグループがあり、

それは”本心から言っている人達””あえて言っている人達”である。

そして、前者はどのような思考からこのような発言に至り、どのような対応が好ましいのか。

というようなことです。

 

 

今回は、前回触れなかった”あえて言っている人達”の思考、意図についてふれていきたいと思います。 

 

あくまで、自分のタイプの思考以外は知識と想定に基づいて記しますので、誰にでもあてはまることでは無いことはご了承ください。

 

 

あえて言っている人達は、大きく2種類に分類できるかと思います。

具体的には、”コミュ障であることを保険とする人達””そもそもコミュニケーションを望んでいない人達”の2種類です。多分、なんとなく分かるっていう人も全く理解できないっていうひともいるんじゃないでしょうか。拙く情報が足りないと思うかもしれませんが、それぞれ紹介していきます。

 

 

さて、前者の”コミュ障であることを保険とする人達”ですが、自称コミュ障の半分かそれ以上はここに該当するんじゃないかと思っています。

心理としては、コミュニケーションに対するハードルを下げたい、コミュニケーションをうまく取れなかった時の自己正当化の為に、所属の集団内での役割がそんな感じというようなものがあげられるのではないでしょうか。最後のだけもの凄くフワッとしていますが許してください。集団にあまり帰属していない為、適当な文に言語化できませんでした。これらの心理は、ぶっちゃけ自己保身からきているものです。

「コミュ障だから仕方ない」そう自己暗示をかけています。

 

ですので、この類の人達は、コミュニケーションがうまいとは言えないでしょう。話したがり屋もあまり話したくない人も混ざっていますので、会話のバランスがどちらかに偏りがちです。コミュニケーションが好きであるにも関わらず、コミュ障であるということに甘んじて改善は余り考えないので、当然と言えば当然でしょうけれども。

ちなみに自分は、前後2つのハイブリットです。良いとこどりです。悪いところを寄せ集めてるのかもしれません。

 

 

次に後者の”そもそもコミュニケーションを望んでいない人達”ですが、人間嫌いの人なんかはここに当てはまる事が多いのではないかと思います。ゆとり世代やさとり世代と呼ばれている世代にも、少し当てはまることかもしれません。自分はゆとり世代のど真ん中です。だから性根が腐っていると開き直っておきましょう(笑)

心理としては、必要以上のコミュニケーションを取りたくないということが根幹にあります。

資本主義の国に生きる日本人の生活は、お金とは切っても切れないものがあります。そのため、多くの人たちは会社という集団に所属して日々お金を稼いでいます。その中には、好ましい人もいれば嫌いな人もいるでしょう。しかし、人間嫌いの人は他者と交流すること自体がストレスになります。それでも、円滑に仕事を回す為にコミュニケーションを取らざるをえません。そこで、「コミュ障である」と伝えることで、暗に相手を拒絶します。相手に話をする権利を押し付けます。自己開示をしない為に、相手に話をさせます。当人たちはコミュニケーションを取りたいと思っていないので、ペースを握られてもあまり気にしません。反応が薄いと判断されて撤退された場合でも気にしていません。

 

自論として、多くの人は自分の事を話したい、自分の事を知って貰いたいという自己承認欲求を抱えており、自分に興味を持って良くしてくれる人には、敵意は抱きにくい。ならば、そこを満たしてやればいい。興味を持っているように見せかけて、話したいことを話させてやればいい。そう考えてコミュニケーションをしています。

ぶっちゃけ他人のあくる日の行動とか嗜好なんて、こっちからしてみればどうでもいいです。パッと見円満な関係を築ければそれでいいのです。

当然、そんなの見透かしているというような人も出てきますが、それはそれで問題ないのです。嫌いな奴とコミュニケーションを取りたがる奴なんて極稀ですから。結果オーライです。

太鼓持ちみたいなことをしているため、好かれることも稀にありますが、それはなんだかんだ困るかもしれません。めんどくさいです。ただ、集団にとけこむにあたってある程度必要なことだから、仕方ありません。

 

 

これらのタイプに対する対応をどうするべきかというのは、正直よく分かりません。

ただ、あまり交流を深めない方がいいのかなと思わないでもないです。

というのも、こういったタイプの人達は自己承認欲求とこだわりが無駄に肥大化しているように思われますので、結構理由のわからないところで怒り出したりすると考えられます。

また、先ほども述べたようにコミュニケーションが一方的になりがちなので、適切な対応と寛容な心がないとストレスが溜まるでしょう。

そういうやつらとも交流したいんだ、と言うような奇特な人ならいいと思いますが、わざわざそんな奴らに構う必要あるのかと自分なんかは思いますけれども。

 

 

前回と今回でコミュ障を自称する理由について少しでも分かっていただけたでしょうか。分かっていただけたなら幸いです。

しかし、深くコミュニケーションに苦手意識を持っている人の多くは、そもそも「コミュ障」であるという告白すらできないのではないかと思います。仲間はずれは良くないことであるなどと月並みな言葉を並べるつもりはありませんが、余り話したことがない人と話してみるのも面白いかもしれませんね。

なんにせよ、コミュニケーションは一人で行っているのではないということを忘れないようにしたいものですね。いったいどの口がほざくのでしょう(笑)

 

 

前回に比べて全体的にフワッとして要領を得ない感じになってしまいましたが、一日空いたので大目に見てください。物覚えが悪い阿呆なので、一日でも思考が霧散するには十分な期間なのです。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

コミュ障を自称する理由 その1

皆さん、こんにちは。このブログの筆者のやくひなです。

 

 

まっとうな社会生活を送るうえでは、色々な人と対話する必要がありますよね。家族にしろ、地域にしろ、会社にしろ会話はある程度すると思います。しかし、コミュニケーションが得意な人もいれば、苦手な人もいますよね。

さて、人と会話をしている時に、

「俺、コミュ障だからさ……」「私コミュニケーション苦手で……」

こういった言葉を言われた経験や逆に言った経験、皆さんもあるんじゃないでしょうか。

(知らないんだけど……)って思った方は、いい人に囲まれてきた、もしくは相手に警戒されているかのどちらかだと思います。

 

コミュ障を自称する人にも、二つのグループがあります。

それは”本心から言っている人達””あえて言っている人達”です。

コミュ障なんだからみんな一緒だろうと考えるのは早計です。コミュ障も一枚岩ではないのです(笑)

本心から言っている人には、優しくしてあげてください。逆に、あえて言っている人には、あまり関わらない方がいいです。そう言うことが何かしらをその人にもたらすから言っているので、それだけで打算的なのがわかります。その両グループの心理を説明していきます。

 

あくまで、自分の思考以外は知識と想定に基づいて記しますので、誰にでもあてはまることでは無いことはご了承ください。

 

  

まず、本心から言っている人の心理から取り上げることとします。

本心から言っている人は、優しい人、気が弱い人など人当たりがいい人が多いでしょう。そういった人たちは親和欲求が高く、皆さんと仲良くなりたい、でも仲良くできるか不安であるという人が大部分を占めると思います。コミュニケーションの作法が分からないからこういう発言をしているので、当人らに悪意や害意はないですし、一生懸命コミュニケーションを取ろうとしているので助けてあげて欲しいものですね。

 

助けてあげるといっても、特別なことをする必要はないと思います。とりあえず次の3つを少し気にしてあげればいいのではないでしょうか。

1つ目は、”まくしたてない”ということです。

コミュニケーションが得意な人は、話をしながらその情報を整理、言語化するのが早いですのでつい話を先へ先へと進めてしまうかと思います。しかし、苦手な人は情報を整理、言語化した後に推敲の段階が入ることがあります。発言の内容はできたけれども、それで失礼が無いかを確認するということですね。その間に、急かされると萎縮、緊張してしまいさらに次の発言までに時間がかかることとなります。急かさないで余裕をもって聞いてあげてください。

2つ目は、”会話の方向性をある程度決めてあげる”ということです。

コミュニケーションが得意な人は、自分の好きなように話を進めることができます。そもそもそのエピソードを複数回話していたりして、必要な情報と不要な情報の取り捨て選択も終わっていることも多いでしょう。しかし、苦手な人はそもそも対話に対する経験が足りない為、自分から始めようとした話題に必要な情報、求められる情報が定まっていない場合があります。それをどこが気になったかを教える形で、聞いてあげてください。

3つ目は、”話を聞いていることを分かるようにつたえる”ということです。

コミュニケーションに苦手意識を持つようになったのには間違いなく理由があります。苦手な人は相手の顔色を見ながら話を進めているので、反応が見られないとどんどん不安感を募らせていきます。ですので、不安感を持たせないように少し気を回してあげて欲しいと思うのです。うなずく、あいづちをいれる、その程度の事で構いません。ただ、少しオーバー気味にするといいかもしれません。周りを見る余裕がないと、反応が小さいと目に入らなくなりますので。

 

冗長な文で書き連ねましたが、コミュニケーションの基本を意識すればいいと思います。まさかコミュニケーション上手だと思っている人がこの程度の事も出来ないなんてことは無いですよね(笑)これはまあ、冗談です。しかし、対話はキャッチボールのようなものですので、一方的にしててもどちらも楽しむことは難しいでしょう。相手がいるということを心掛けたいものです。

 

 

ここまで書いてきましたが、自分自身はどうなのかというとこちらのグループではありません(笑)いえ、コミュニケーションが得意なわけではないのですが、決定的にこちらとは違うところがあるのです。それが、一生懸命コミュニケーションを取ろうとしているかということです。自分は別に必要以上のコミュニケーションを取りたいとも思いませんし、そもそもコミュニケーションに目的がありません。

 

意外と長くなってしまいましたので、そこらへんのことは次の記事で触れていきたいと思います。こんなに細かく記事を分割する必要があるのか分かりませんが、あんまり長く書いても読むのもしんどいでしょうし、慣れるまで適度に分割することにします。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

頭と心の不整合

皆さん、こんにちは。このブログの筆者のやくひなです。

 

前3回で自己紹介をしてきましたが、お読みいただけたでしょうか。

まあ読んでいなくとも、特別問題があるわけでもないので構いません。

 

 

さて、タイトルに沿ったお話をさせていただきたいと思います。

 

皆さんはどんなことが好きですか?スポーツをすることが好き。スポーツを見ることが好き。動物と触れ合うことが好き。動物を撮ることが好き。人によってそれぞれ違う好きなことがあると思います。俺は本を読む、公園巡りをする等、かなりの1人行動派です。

そして無職で時間を持て余しています。好きなことを好きなだけやれます。羨ましいでしょう(笑)

 

しかし、現実は違います。やりたいと思うだけで、行動にはなかなか移しません。というか、しんどくてなかなか移せません。それが今回の話になります。

 

 

 無職になる前は、無職期間好きなことを好きなだけ出来るから何しようかとワクワクしていましたが、今は毎日どうやって時間を潰そうかと悩んでいます。贅沢なことを言ってるのは重々承知の上ですが、自分としては重大な問題です。

 

もちろん明日はどんなことをしたいっていうのを考えることもあり、その時は多少気が晴れます。しかし、当日になってみると気分が重くなり考えたことが達成されることは余りありません。

 

 

どうしてこのような状態なのかというのは、多分ですが原因は2つあります。

1つ目は、”頭と心で必要なエネルギー量の計算が間違っている”ということ。

2つ目は、”そもそも日々を積み重ねることに対する意欲が薄い”ということ。

この2点が大まかな原因だと推測されます。

 

 

1つ目の原因から、詳細に説明していきたいと思います。

頭と心で必要なエネルギー量の計算が間違っていると言われても、多分ピンとこないですよね。

例を用いて説明します。それでも分かりにくかったらすみません。

まず、一人の子供を思い浮かべてください。その子にモノを渡していきます。

飴玉ならいっぱい持てますよね。袋菓子ならどうでしょう。牛乳パックならどうですか。米袋は持てますか。これらを持つのはそこそこの力が無ければ難しいですよね。普段なら楽々出来る事も、仕事終わりにするのはしんどいかもしれません。

人それぞれその時々によってキャパシティは違いますが、どうにも自分は心のキャパシティを測るのが苦手なのです。

 

やりたいことのキャパシティがオーバーした結果、行動に移すのが困難になり、その時出来る楽なことをするがために結果としてやりたいことだけが消化されずに積み上がっていく。まさに悪循環ですね。

さらには、やり始めたからにはある程度の成果を得なければならないという思い込みがあるがために、なおさら動き出しが鈍くなっています。

 

 

2つめの原因の説明に移りたいと思います。

そもそも日々を積み重ねることに対する意欲が薄いと言いましいたが、自分はあんまり生きるということに執心していないんですよね。やりたいことがあるからそのために生きるっていうようなものもなく、将来的にどうなっていたいという未来予想図も思い描けない。そこから発展して、別に今日これをやらないと絶対後悔するというような危機感を持ち合わせていません。発展でなく退化の可能性は大いにありますね。

まあ、死生観の話はまた別の機会にしたいと思います。

当事者意識が薄いため、結果としてやりたいという意欲が萎みやすいから、やらないということになります。

 

 

やりたいと考えてる事がいつでもできる環境にあるというのが無職の強みでありますが、それがあだとなり今やらなくても別にいつでもできるという考え方に移行するのが無職の欠点ですね。

これらは当人の心の持ち様、心情に依存した物ですので、無職が向いている人はそれでもいいのでしょうけども、自分みたいなやつには余り好ましいとは言えないんでしょうね。

 

積みゲーや平積みの本の消化や資格の勉強などやりたいと思うことは色々ありますが、結局楽な方に流されてネットサーフィンや動画視聴、ソーシャルゲームなどをして1日を過ごす。これが、現在の自分のルーチンワークと化しています。

現代は細切れの時間を潰す手段が数多く存在しており、それらは組み合わさることでいくらでも時間を奪うものに変化します。そのことを自覚しないと無駄な時間を過ごすことになります。おまえが言うなと思われるでしょうが、戒めを込めてここに記しておくことにします。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

自己紹介と人格形成歴 その3

皆さん、こんにちは。このブログの筆者のやくひなです。

 

さて、前回前々回で高校卒業までの経緯を綴ってきましたが、ここでその続きを語ることとします。

ぶっちゃけここまでの話が面白いものになっているのかは自分ではよく分かりませんが、まあいいとしましょう。

 

 

とりあえず大して行きたくもない大学に入学し、とりあえず気のおける友人を数人見つけることができました。サークルにも入りたいと考えていましたが、家手放しに裕福と言えるほどではなかったため、先ずは家計の足しにとアルバイトを始めることにしました。しかしながら、自分からバイト探しなどをすることもなく、見かねた母親がその時勤務していた食品スーパーの求人を持ってきたのでそこで週4日勤務することとなりました。要領よく生活を行うだけのパフォーマンスは持ち合わせていなかったので、サークルに入って活動するなどということは水泡と帰しました。

 

少し話が遡ることとなりますが、大学入学の頃からY子とは連絡が取れない状況になりました。まあこれまでも時たまあったことなので、そんなに心配はしていませんでした。

 

 

大学1年の前期はしっかりと単位の方を取得していました。しかし、そこは特別学習意欲があった訳でもない自分の事です。ずるずると講義をサボる頻度が上がっていき後期は数単位しか所得出来ない事態になりました。しかし、ここでどの程度なら講義をサボっても問題ないのかを計算し、計画的に登校するようになりました。本物の阿呆ですね。

 

さて、同時期の夏ごろに偶然趣味の場で高校の時の知り合い達と顔を合わせることとなりました。まあ、Kグループとでも置いておきましょうか。そのなかの1人の女の子と仲良くなり、クリスマス前には晴れて付き合うこととなったのです。ここでは、A子と呼ぶこととします。蛇足を承知でどこで告白されたのかを書かせて貰います。バイト先のスーパーで仕事中にです。その時、近くに母親もいました。正直、滅茶苦茶恥ずかしかったです(笑)

ピュアボーイの自分は付き合うのなら結婚まで見据えるべきという、現代にはそぐわないのではないかと疑うような思考回路をしていたのです。しかし、付き合う前にはA子が10歳近く年上でフリーターの彼氏とやることやっていたという話を耳にしていた為、どうにも受け入れることができず無事拗らせることとなりました。そうです、リアルではそんなに耳にすることは無いがネット上には多数存在する処女厨の完成です。

A子とは、半年ちょっとで別れることとなりました。よくそこまで関係が続いたと我ながら思いますね。

また、A子との交際中にY子から突然連絡が来ました。A子と別れることに決めた決定打はY子と連絡取れるようになったことです。この頃から、Y子と一緒に出掛けたり、飲みに行ったりすることがありました。しかし、しばらくするとまた連絡が取れないようになりました。

 

 

なんだかんだで、大学三年。今年中にほとんどの単位を揃えて、来年新卒でどこかの会社に内定をもらい、Y子に真剣交際を申し込もうと思っていた矢先、Y子から突然の連絡が届きました。

 

結婚することになりました

 

すぐにはその文面を受け入れることができませんでした。どうにかその意味を受け止めたは良いものの、そのころには就職する気は完全に無くなっていました。長年目的としていた場所が失われたからです。就職することに意味を見いだせなくなっていました。

 

結局卒業ギリギリまで講義を受けるために大学に通い、就職活動を一切することもなく大学を後にすることとなりました。

 

 

卒業後もパートとしてバイト先で働いていましたが、バイトを休み在学中に貯めていたお金を使うことで、四国遍路をすることに決めました。大学在学中にもしたいとは思っていましたが、夏休み期間で戻ってこれる保証も無かったのでずっと我慢していたことです。4年越しの祈願が叶うこととなりました。

 

お遍路は真夏の決行でしたのでとても辛かったですが、色々な人のお世話になりながらやり遂げることが出来ました。その経験をしたこと自体には全く後悔など無いのですが、ここで新たな問題を抱え込むことになりました。

就職したら長期休みが取れない=この経験が出来ない”という発想です。

この発想が元から興味が無い就職というものから、更に足を遠ざけることとなります。

 

その年が明けた頃、2人目の彼女が出来る事となりました。この経緯は色々あったのですが、まあ省略させていただきます。

その彼女との交際も夏には終わることとなりました。あたかも、外部からの干渉で別れることになったかのように書いてますが、普通に破局です。ごめんなさい。

 

その彼女と別れたことをきっかけに簡単な資格を2つ取得しました。そしてふと青年海外協力隊として活動したいと思い、5年以上離れていた英語の勉強をしました。

とりあえず青年海外協力隊としての最低応募条件を満たし、いざ応募と思ったところ、自分の条件で応募可能な案件が無く、そこでどうでもよくなりました。しょせんはその程度の心構えだったのです。

 

前述のエピソードが2018年の春の話で、その夏とりあえず就職をするかと思い長年勤めたパート先に退職の意思を伝えたものの、色々あった結果翌年2019年の1月末での退職を余儀なくされる事となりました。これはまあ自分の押しが足りなかった結果なので、しょうがないと思います。しかし、ここまででなんとなく察している方もいると思いますが、かなり気が変わりやすい自分に半年の期間は長すぎました。就職する気もなくなっていたのです。そして、2018年の酷暑に中てられて自律神経もどっかいってしまいました(笑)

 

 

この紹介文を書いている現在は、失業手当を取得するための待機期間であり、暇を持て余した結果、このような駄文を書き散らす事となりました。

 

生きる動機となるようなものもない為、思考が紆余曲折した結果として”反出生主義”も拗らせています。

 

そんな屑の思考回路がどんなものなのかをゆっくりと書いていきたいと思っているので、お付き合いいただけたら幸いです。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

自己紹介と人格形成歴 その2

皆さん、こんばんわ。このブログの筆者のやくひなです。

 

前回に引き続き、ここまでを振り返ってみることとします。

 

 

さて、小学校を無事卒業して中学生となり、部活というものが目の前に現れました。

帰宅部でもよかったのですが、科学部に入ることにしました。理由は至極単純なもので、一目惚れした女の子がその部活に入っていたからです。甘酸っぱい話ですね(笑)

この女の子は後々も俺の人生にたびたび関わってきます。いや、正しくは関わってくるというのは間違ってますね。勝手に振り回されるだけですから。名無しも何ですのでとりあえず、Y子としておきましょうか。

この女の子によって、自分好みの異性のタイプが確立します。そう、”黒髪””ロングヘアー”です。もの凄くどうでもいいですね。

 

 

この頃も、あまり考えて無かったのか、クラスも男女も問わず色んな人と仲良くなっていました。今では考えられないアグレッシブさで大変驚きます。

 

中学1年の夏頃だったか、深夜アニメにはまることとなりました。小学生の頃は母が生活習慣を管理していたのもあって夜更かしなどあまりしなかったのですが、離婚により管理者不在でどんどん生活リズムが乱れ、環境の変化もあって一気にオタクとして開花することになったのです。ちなみに、きっかけとなった作品は”魔法少女リリカルなのはStrikerS”で、このシリーズは今も気に入ってます。同時期に”蒼穹のファフナー”のCMをやってたのがなぜか印象に残っています。

うちには録画機器が存在しなかったため、深夜帯のアニメは当然のようにリアルタイム視聴となり、結果さらに生活リズムは崩れていきました。結果、当然ながら成績は落ちていきます。元から手放しに褒められるような成績はしていませんでしたが、5教科で230点前後の成績になりました。

 

中学2年の頃に、クラスメイトから”東方project”のことを耳にすることとなり、そこで立派な東方厨の完成です。同人CDが豊富なこともあって、結果J-POPなどから縁遠くなっていきます。

 

成績が悪いのはここまででも理解していただけたでしょうが、さらには素行も良いとは言い難かったのです。どうしようもないですね。

休日に父親が学校に来て頭を下げること数回、教師には危険人物としてマークされていたでしょうね。そのこともあり、弟からは”同じ中学にはおまえがいたから行かせてもらえなかった”などと言われたことが数度あります(笑)

 

冒頭の方で触れた、科学部の方がどうなったかというと3年にあがるころには除籍されてましたね。部費を滞納し続けたので、顧問から退部を薦められました。Y子が部活に来なくなった辺りで行かなくなったので全く気にしてませんが。

 

とりあえず高校進学となってどこの高校を選ぶかって段階で、なぜか”剣道部”の存在する近場の学校という選択方針を打ち上げました。はい、意味が分かりません。そのころ、”BAMBOO BLADE”という漫画に影響されたからなんですけれども。

結果、近場のスポーツ教育に力を入れてる高校に入学することとなります。

 

それはさておき、中学生活の3年でY子との関係がどう進展したかというと、友達以上にはなれませんでした。ヘタレでチキンだったので、メールでのアプローチ以外はほとんど仕掛けてなかったのです。本当にどうしようもないですね。

 

 

話を本筋に戻すとして、高校に無事入学し剣道部の見学に行って即日入部することに決めました。今思うとどうかしています。なお、一緒に見学に行った中学の友人たちは無事美術部に入部しました。英断です。

さて、剣道部は男女合わせて部員30人ほどでしたが、初心者は他に誰もいませんでした。何でも数年間いないとか。部活選び失敗です。

 

新入部員に対する可愛がりなのか何なのかは知りませんが、当然プライバシーは確立されずここでもひとつの思考を身に着けることとなります。

他人は信用すべきでない”ということです。過剰かとも思いますが、再三内緒話が漏洩する、自己の発言が曲解されるなどの事があればそう考えるようになるのも不思議ではないと思います。

 

高校生活は中学ほど書くことが多い訳でもないので大雑把に説明しますが、色々あってなぜか学年中に知れ渡ることになった俺の汚名は雪がれる事はありませんでした。男子にはからかわれ続け、多くの女子には毛嫌いされる。それを受け入れて道化を演ずる、そんな高校生活でした。

学校柄もあり多くの生徒と気質が合わないのも相まって、今も連絡を取るような友人はできませんでした。部活のこともあり、更に成績は落ちていき5教科で200点越えないこともざらにありました。ここでも問題を色々起こした為、いろんな教師に疎まれていたでしょう。

 

高校の次は大学となりますが、進学したいという意思もなく高卒で適当に就職してY子に結婚を前提としたお付き合いを求めようかと、阿呆のような事を真面目に考えていた坊主頭ですが、父親はどうにも進学させたかったらしく結局1校のAO入試を受けることで手を打ちました。結果合格してしまい私立のF欄大学に進学することとなりました。

 

部活を引退した後は殆ど顔を出すようなこともせず、卒業と同じく剣道も辞めました。

卒業後は部員との連絡を一切取っていません。向こうも気にしていないでしょう。

 

そして、Y子との関係がどうなったかと言いますとまた進展はありません。いや、もうここまで来ると笑えないですね。バレンタインチョコを貰ったり、近況を時たま話したりはありましたが、それ以上にはなれませんでした。勇気があればまた別の未来もあったのかもしれません。

 

 

ここで、両親との関係にも触れていく事とします。

離婚後も月1で母との面会をすることとなりましたが、これも自分にはかなりのストレスとなりました。母と会えること自体は嬉しくとも、母はたびたび父親の悪口や憎悪をぶつけてきたのです。そして父は、笑顔で帰宅しようものなら目に見えるように機嫌を悪くし、私たちに文句をぶつけます。弟は母からは特に言われなかったようですが、両親の板挟みにあう自分は次第にどちらにも本心を見せないようになりました。それが高校入学で誰にも本心を打ち明けないようになります。

 

昔からそうだったのでしょうけれども、父の発言は自分たちの意思に関わらず優先されるので、たびたび行きたくもない場所に行く、欲しくも無いものを与えられるなどの状況が起こりました。贅沢なことを言うなと憤慨する方もいるかもしれませんが、求めていないものを与えられても満たされる事はありません。

こうして、父に対する嫌悪感が少しづつ蓄積されていきます。

 

この頃から、俗にいう”希死念慮”を抱くようになりました。

 

 

長くなりましたが、これ以上ここで書き続けても冗長になりますので、続きはまた別に書きたいと思います。

 

ここまで、お読みいただきありがとうございました。

自己紹介と人格形成歴 その1

はじめまして。このブログの筆者のやくひなです。

 

筆者を自称するのは恥ずかしいものがありますが、適当な言葉が思い浮かばなかったので、この言葉を使うこととします。

 

仮にも自己紹介とタイトルに置いたからには自分を知ってもらわなくてはならないですね。

正直、自己紹介と言ってもみてる人が何を知りたいのかわからないのですが。

 

まあ、適当にどんな奴なのか知ってもらえるよう、自分のためにもバックグラウンドを整理していくとします。

  

 

生まれはなぜか下町で、千葉県育ちの男子です。

4つ下の弟がいます。

 

小学校までは特筆するようなこともない普通の元気な男の子です。

特筆することが無いっていうのは、本当に正しいのかわかりません。

何故なのかわかりませんが、物忘れがとても激しいからです。

ですから、正確には特筆すべきことが存在してるのかわからないってのが正しいですね。

 

人当たりはというと結構よかったのではないかと思います。

男女問わず仲のいいクラスメイトも多く、何かしらの問題がある子とも仲良くしてたようです。まあ、嫌ってた相手も嫌われてた相手も多かったでしょうけども。

これも憶えがあるわけではないので記憶を元にした証言ではないです。

しかし、そういった子からの手紙と作品が何通か手元に残ってるのでまあ間違いないでしょう。

 

 

そのころ、学校でいじめられていた時期があり、不登校だった時期もあるようですが自分の記憶には一切そんな過去は存在していません。なんかおばさんが担任だったような気がします。担任もいじめに加担していたとかいう話も耳にしたことがあります。

 

4年生辺りで引っ越してきた男の子とその週のうちに仲良くなって遊ぶようになりました。今思うと、行動的すぎるでしょう……。子供の環境適応力には恐ろしいものがありますね。ここで付き合う友人がかなり絞られてきました。

 

なかなかに手癖は悪かったです。考えて行動するようなタイプではなかったので、人の家や商店などで片手ほどの回数は物を盗るということをしています。

返せてない友人や商店には、悪いことをしたと思っています。

その理由は正直分かります。

お小遣い制もなく、欲しいものを手に入れられる環境が整っていなかったというのが要因でしょう。

両親に伝えてみれば手に入ったのかもしれませんが、それらの行動をした時期と両親の不仲の露呈から離婚までの時期が大体一致してるであろうことを考えると子供なりに遠慮しての行動だったのではないかと思います。子供だなあ。

 

また、父親が日中家にいた時期があり、母親のパートを一緒に迎えに行ったような記憶もあるので、多分父親が無職でパートの母親が家計を支えてた時期もあると考えられます。学童に通ってたこともあり、多分その時期なんでしょう。多分そのことも関係していると推測されます。

 

 

ここからは当然の事ながらあまり人に語りたい話題ではないのですが、人格形成の面を見ると語らないわけにもいかないので触れることとします。

 

5年生辺りで、両親が離婚しました。正確な時期は憶えていません。

 

夜中に喧嘩の声が聞こえたたと思ったらガラスの割れる音がして、とても怖かったのは憶えています。

そこで完全に歯車がずれたんでしょう。離婚の話は自分たちをよそにとんとん拍子に進んでいきました。

離婚自体が嫌な私も、とりあえず母親についていく事に決めましたが父親がそれをただで見過ごすわけもなく、その話は無かったことになり、母だけを自宅から追い出す形でのその後の生活がスタートすることとなりました。

 日中自分たちのめんどうをみる大人がいないことを憂いた母と共に、父の妹(叔母)のところに祖母が面倒を見ることを承知してくれと頭を下げに行った事が妙に記憶に残っています。

 

 

とにかく両親の離婚が人生におけるターニングポイントになったのは間違いありません。ここで2つのことを脳に焼き付けられることとなりました。

1つ目は、”自分が願ってもどうにもならないことはある”ということ。

2つ目は、”親密になればなるだけ、離れるときに痛い思いをする”ということ。

このふたつは、今の自分にも多大なる影響を及ぼしてると言えるでしょう。

 

”そんなの甘えだ”という人もいると思います。

ぬるいことを言ってると思う時もありますが、実際そういう思考形成がこの時になされていることは事実です。

 

いじめのときか離婚のときからなのかは定かではありませんが、そのころには”大人は無条件に信用していいものではない”という考えも持つようになってました。

 

 

習い事といえば、幼児期から小4辺りまで水泳を。

小1から中1辺りまで公文式を。

小2から小5半ば辺りまでバレーボールを。

それぞれ週2程度のペースで習っていました。

サッカーをやった憶えもあるのですが、通った憶えはないので習うには至らなかったのでしょう。

 

 

 まあ、そんなこんなでいろいろありつつ小学校は卒業となります。

特に感慨深い思い出とかもありません。というか、ほんとに記憶が曖昧でここに書いたことが正確なのか自信ありません。

 

 

なんか長くなりそうなので、ここらで一旦終わりとさせていただきたいと思います。

ただまあ、こんなところで打ち切りというのもなんですので次回に続きたいと思います。

 

にしてもまあ、意外と文章量は書けるもんですね。

 

ここまで、お読みいただきありがとうございました。